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2016年11月07日22:05

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「スーサイド・スクワッド」 「ブリーダー」 「永い言い訳」

「スーサイド・スクワッド」’16 (米) デヴィッド・エアー


アメコミものには基本心惹かれないのだけど
本作は予告編に登場するハーレイ・クインがあんまりカワイイので
観てみたが…
悪者たちの寄せ集めが大暴れするらしいから
もっとメチャクチャにはじけたお話かと思ったら、
悪党どもがそこそこ結束して“チーム”になっちゃって
え〜っと…そういう感動を読ませる映画なの??
てか、この人たちあまりに自己チューで
絶対群れ得ないところが魅力なのでは?
一芸に秀でた悪党といえども人間なので
超人と人間がごちゃまぜで闘うのに違和感ありで
笑っちゃうくだらなさを期待してたのに
全然ノレなかったよ…。
マーゴット・ロビーのハーレイ・クインは抜群にカワイかったけどね。
ジャレット・レトのジョーカーはいいんだけど
お話全体の構成が“チーム悪党”の成立に引っ張られて
そこに絶対悪のジョーカーが絡みきれていないので
最初から最後までキレッキレの部外者って感じで
今一つ印象に残らなかったかも。





「ブリーダー」 ’99 (デンマーク)


監督・脚本・製作:ニコラス・ウィンディング・レフン
m:マッツ・ミケルセン,キム・ボドゥニア,ズラッコ・ブリッチ
f :リヴ・コーフィックセン,リッケ・ルイーズ・アンデルソン


ニコラス・ウィンディング・レフンの監督第2作。
「L」で始まる名前の男女5人のお話。
ビデオ屋の店員とその客である男3人(1人だけ名前が「K」で始まる)
オタクで怠惰でいい加減な彼らのトホホな生態は
ドレスコードあり(ビデオ屋に2階のきったない部屋なのに(笑))の
週1のB級映画ビデオ上映会を軸に回るのだが、
映画オタクのマッツ・ミケルセンが
速射砲の如く有名監督の名前を挙げ続けるのに大笑いしていると
仲間のレオがじわじわと不気味になって来て
ついに暴力が…!
レフンの描く暴力が発動する時(或いは発動するに至る経緯)の演出は
本当に気持ち悪くてゾクゾクしてしまう。
ビデオ屋の棚だらけの迷路みたいな狭い空間とか
くたびれたアパートの風情とか
総菜屋やダイナーの狭苦しさとか
やはりこの人は香港映画のごみごみとした狭隘な路地や屋内を
意識した画作りを狙っているんだろう。
そういう意味で“映画”はレフン映画として既に仕上がっていて
あの“赤”もちゃんと存在している。
暴力の発動とは別に
マッツ・ミケルセンのオタクオクテ男の面倒な恋愛がぼんやり進行していて
ちょっといい終り方をするのがいいね。





「永い言い訳」 ’16


監督・脚本・原作:西川美和
m:本木雅弘,竹原ピストル,藤田健心,池松荘亮
f :白鳥玉季,堀内敬子,黒木華,山田真歩,深津絵里


西川美和の描く人間がとうとう“子ども”を得た。
子どもは被庇護者として大人に“大人”を強要する。
大人は子どもを受容するべき存在だ。大人なんだから。
何を言いたいかというと
他者を受容しないクソ野郎の主人公が
子どもと接することによって“他者”を認識する物語だ…ということ。
池松荘亮の編集者が言う
「子育ては男の免罪符」という発言が“男”と“子育て”の距離を示す。
信仰の偽善になぞらえて初めて
男の理性は子育てを自らの中に容れることができるのだろう。
主人公の作家幸夫も子どもたちの父親である陽一も
結婚により大人を手に入れていない。
亡くなった妻たち 夏子もゆきも、愛人 智尋も、学芸員 優子も、
登場する女たちは皆大人だというのに
男たちは「オレ」の悲しみや「オレ」の困惑に懸命で
まるで周りに目が行かない。
家長たる厳父という前時代的“器”が失われてから
男たちの家庭での立ち位置は一挙に曖昧になり
結婚は男に大人をもたらなさなくなった。
厄介な家長がなくなることは女にはいいことだったはずが
大人にならない夫を抱えることになった女たちの方はと言えば
幼い頃から被抑圧者として社会に照らされる「私」を意識して生きるから
仕事にしても妻にしても母にしても愛人にしても
大人の女を上手にやることでその立ち位置を獲得する。
西川美和は
そういう家庭の中に自分を位置づけられない男たちを
辛辣な観察眼で眺めていて、
幸夫が「オレ」の卑小さに向き合い
他者を受容する大人になる過程を描き出す。
「もうひとかけらも愛してない」と夏子に言わせるのが
女的には爽快だったりするけれど…ね。
いつだって女の方が強くてこわい。
佳作。
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