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2016年11月03日05:49

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南極探検 白瀬のぶ (2)

やっと、図書館で 南極探検の白瀬のぶ氏の子供用伝記を読んだ。

著者はオーストラリア30年在住の女性。

白瀬のぶは、26歳で仙台の女性と結婚して、7人の子の父となる。
計算すると、妻、「やす」は、14歳で結婚したことになる。
のぶは、千島へ行ったり、戦争に行ったり、勿論、南極へ行ったから、
しょっちゅう、生死不明だったはずだ。

やすは、三味線を教えたり、苦労したし、
のぶは、70歳を超える迄、借金を返す生活だったし、
晩年は 戦争のため、食うや食わずだった。

81歳で、新座市に3部屋の小さな家を建てるが、
子供達の家族が2家族も身を寄せたので、ぎゅう詰めになる。
食糧難のために、京都に行ったり、最後は愛知県豊田市だった。

死因になった腸閉そくも、栄養失調の時、
たまたま、白米を沢山食べられたので腹痛を起こしたためという。

南極行きでは、半年、オーストラリアに身を寄せるが、
怪しいテント生活を疑われ、スパイ容疑までかかった。
そこに、南極探検の経験のあるデービッド教授が現れ、支援してくれる。
白瀬は感謝のしるしに、日本で寄贈してもらった日本刀を贈った。
これは 今でも保管されている。

南極では、厳しい気候に耐えるペンギンやアザラシに感動する。
アムンセン隊の近くに航路をとったので、船を見学させてもらい、
その豪華さに驚く。食料は6年分である。
アムンセン隊は逆に 日本隊の粗末さに驚く。

南極では、70mの氷の崖を荷物を持って這い上がる事になった。
その先には平原があったのだが。
南極の氷の厚さは、何キロもあるのだ。
海に張り出した氷も1キロの深さがあるので、陸と区別がつかない。
犬が一頭、行方不明になるが、クレバスに落ちたとしか思われなかった。
どうしても連れ帰る事が出来なかった犬達、20頭のために
白瀬は日本で毎日、供養の祈りを捧げた。

南極のブリザードは凄まじく、視界が効かなくなるので、
羅針盤は必須である。この羅針盤の故障は命取りとなる。
ブリザードが無くても、指標となるものが何もない。

近年のタロー、ジローも置き去りにされたが、
この置き去りの理由は 何度考えても なかなか理解出来ない。
食料が よほど逼迫していたのだろうけど。
オーストラリアで 帰りに肉でも買って、
なんて考える私は甘いのかな?

探検隊の衣服は カラフト犬の毛皮を二重に縫い合わせたものだった。

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