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2016年10月25日06:42

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教育と体罰を考える

夏目漱石などの明治・大正期の作品を見ても、教育的体罰にあたるような記述は見られず。また大正時代以前に、教育的理由で行われる体罰があった形跡はありませんでした。
また旧海軍の海軍兵学校においては上級生が下級生を殴る鉄拳制裁が「弊害」となっていることを知りました (参照 http://www.naniwa-navy.com/0-0-tekkennseisai1.html )これに対して海軍の工藤俊作は、艦内での鉄拳制裁を厳禁したとか、同じく海軍の谷口尚真が海軍兵学校における生徒の鉄拳制裁を禁止したという話を知りました。
これが一変したのは軍国主義が強かった時代に、軍隊内に鉄拳制裁やビンタなど、教育的体罰が普及したからでした。軍隊は軍規の締め付けを厳しくし、「大和魂」を注入するといって精神論に偏重し、いつの間にか体罰や鉄拳制裁を容認するようになったのでした。
学校現場での「教育的体罰」が根づいた原因は軍隊経験者が兵士時代に、鉄拳やビンタなどの体罰を受けたことによって、「体罰は教育的方法として必要だ」という観念が身につき、戦後の日本でも体罰は一定の教育効果があると支持されるようになり、今日まで続いています。
このことを考えたら明治に大正期にかけて教育現場で鉄拳制裁を行わなかったことに目を向けるべきではありませんか。教師自身も襟を正し、自律する姿勢が求められます。
また体罰を容認するものの中に「指導」と暴力をごちゃ混ぜにして考える人が多いので、体罰容認派はそのことを厳しく戒め、体罰を行ってもビンタ一発程度で済ませる「自制心」が求められると感じました。。

>明治時代、外国の講師を頼み、軍隊を育成するとき
学校長は、外国では当たり前だった鉄拳制裁を、この講師に強く禁止した。
講師には理解不能だったようだが、日本で鉄拳制裁は大問題でした。

ではいつから鉄拳制裁の教育が行われたかというと、
第二次大戦中期からのようです。

それまで明治、大正、昭和と鉄拳制裁は行われませんでした。
その第二次大戦中期からの教育方法が現代も続いているのです。

今こそ本来の鉄拳制裁を行わない教育方針に目を向けるべきではないでしょうか。
でも今の時代、先生のことを“センコー”とバカにする輩も多いです。
そういうやつは大戦前から行われていた通り、停学、留年、最悪退学という方法をとればいいのです。

昔の生徒は志が高かった。
それは生徒と先生の間柄が緊密で先生をばかにする人間がいなかったからです。

先生は生徒の模範だった。
それが最近先生が犯罪に手を染める人間が増えてきた。
教師の質が落ちたのだ。

その辺も加味して、先生たる人間はどういう人間か、勉強しなおす必要がある。

体罰の起源 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/437760 及びmixiユーザーからの提供をえました。
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