mixiユーザー(id:3472200)

2016年10月24日21:20

198 view

ボブ・ディランに、サルトルにも、そして漱石にも拍手!>ボブ・ディランさま、唄ってください、ノーベル賞を無視してる理由を!!!


サルトルのノーベル文学賞拒否のエピソード



2014年10月04日(土)
テーマ:イベント


実存主義、そして自由の哲学の父であるジャン=ポール・サルトルが、ノーベル文学賞を拒否したのが1964年10月22日でした。まもなく、50年になろうとしています。







サルトルは、『La Nausée 嘔吐』などの作品ですでに知られていましたが、ちょうどこの年は自伝的作品である『Les Mots 言葉』を出版した年でもあります。

サルトルがノーベル賞を拒否したことにより、フランスの知識階級の間では、議論が巻き起こりました。賛成派反対派が意見を出し、反対派の中には「やつは燕尾服の着方を知らないから拒否したんだ」と揶揄した人もいます。


サルトル自身は、スウェーデンのノーベル財団に手紙を出し、次のようにのべています。

「わたしには、このノーベル賞を拒否する2つの理由があります。1つは、個人的な理由です。わたしがこの賞を拒否したのは思いつきではありません。わたしは公式に表彰されることは全て拒否してきました。例えば1945年、終戦直後にレジョン・ド・ヌール賞受賞できると言われたときも、拒否しています。その時、政府の中にはたくさんの政治家の友人もいました。また、わたしの友人たちが薦めてくれたコレージュ・ド・フランスに入ることも望みはしませんでした。わたしにとっては、ジャン・ポール・サルトルと署名することと、ノーベル賞受賞者ジャン・ポール・サルトルと署名することは、同じ意味ではないのです。
2つ目に、わたしの客観的な理由として、現在のカルチャーの戦線における可能な闘いというものは、二つのカルチャーの平和的共存、つまり東と西のカルチャーの共存ということであります。わたしは、東西が互いに抱き合うということを求めているわけではありません。しかし、この二つのカルチャーの衝突というものは、必ず闘いという形になるとは思いますが、それは人間同士のそしてカルチャー間の闘いであるべきであって、制度というものがそこに入るべきではないと思っています。したがって、わたしは文化機関が配布する賞というものを受賞することを望みません。」


これとは別に、フランス国内向けの説明には、以下のようなものがありました。

「わたしはノーベル文学賞を拒否しました。なぜならば、わたしは自分が死ぬ前に人が“サルトル”を神聖化することを望まないからです。いかなる芸術家も、いかなる作家も、そしていかなる人も、生きている間に神聖化されるだけの価値のある人はいません。なぜならば、人は全てを変えてしまうだけの自由と力をいつも持っているからです。ですから、ノーベル文学賞というものがわたしを名誉の絶頂に押し上げてしまうとしたら、わたしは現在完成しているものを終わらせることができませんし、またわたしは自分の自由というものを行使することもできませんし、行為をおこすということもできなくなりますし、コミットメントをすることもできなくなります。このノーベル文学賞の後では、すべてがつまらぬものになってしまいます。なぜならば、すべてが回顧的な価値を認めるだけのものになってしまうからです。想像してごらんなさい。栄誉を得て、そしてその後転落していく作家と、栄誉はないが常に今一歩前進していく作家と、この2つの作家のうち、どちらが本当に栄誉に値するのでしょうか。常に、今一歩前進して自分の可能性の頂点に向かっていく人と、頂点に到達することなく神聖視されてしまった人、どちらでしょうか。わたしは、この2つのうちの1つになることはできていたでしょう。しかし、わたしがどんな可能性があるかは誰もいうことはできなかったはずです。人というものは、その人がなしえたものがその人であるのです。わたしは、行為することができる間は、絶対にノーベル賞を受け取ることはないでしょう。」



「目的はすべての手段を正当化する」という傾向になりがちな今の社会において、サルトルのような行為は青臭い滑稽にも見えるかもしれませんが、彼のように自分の原理原則に従って賢明に生きようとしている姿は、尊敬に値すると思います。

一方で、賞を受賞したとしても、名誉に押し上げられたとしても、自分の人生としてやるべきことをやる、ということはできたかもしれませんね。サルトルは「全てを変えてしまうだけの自由と力」を自分に保存するために受賞しないと決めていますが、そういったことに自分の自由が左右されるということとサルトルのいう自由の哲学とは、どこか矛盾があるという印象を受けます。

ほとんどの人はどんな制約の下にあっても、選択し、手持ちの手段でアクションする可能性は残されていると思います。体制やパラダイムの中の二元論を越える視点というものも、わたしたちは選択の際に考える必要があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーーー
http://ameblo.jp/atelier-myriad-happiness/entry-11934369945.html




孫崎享のつぶやきとレジスタンス トピック
通知OFF



「ディラン氏は無礼で傲慢」ノーベル委員長苦言。文部省が、漱石に博士号を与えると通告に、漱石が受領を拒否。

2016年10月24日 19:51
.

櫻井 智志 【孫崎享のつぶやき】

「ディラン氏は無礼で傲慢」ノーベル委員長苦言。文部省が、漱石に博士号を与えると通告に、漱石が受領を拒否。一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をするというような気風を養成するのは害。

2016-10-24 07:333






米国の歌手ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するのか否なのかが話題となっている。

次の報道がある。

「ボブ・ディラン氏は無礼で傲慢」ノーベル委員長が苦言

「今年のノーベル文学賞の受賞が決まった米国のミュージシャン、ボブ・ディランさん(75)が沈黙を貫いていることについて、同賞を選考したノーベル委員長のペール・ベストベリィ氏が21日、「無礼で傲慢だ。でもそれが彼ってものだ」と苦言を呈した。スウェーデン公共放送SVTのインタビューに応じた。ベストベリィ氏は、ディランさんの公式ウェブサイトから「文学賞受賞」の文言が21日までに削除されたことも認識しているとして、「予想していなかったが、彼は気難しいようだから驚きはしなかった」と語った。」

これにちなんで、昨日はサルトルノーベル賞受賞拒否の理由の説明をみた。

その中で、サルトルの「作家の得る政治的、社会的、文学的地位は個人そのものの手段、書かれた言葉のみで築くべきもので、特定の権威、組織と一体化させるべきでない等」を見た。

日本で同じような主張をしていた人物がいたような気がしたが、夏目漱石である。夏目漱石は、文部省があなたに博士号を与えるというのを断っている。

ちなみに、サルトルはノーベル賞だけでなく、「自分はコレージュ・ド・フランス(フランスにおける学問・教育の頂点に位置する国立の特別高等教育機関)に入ることを求めなかった。」と述べている。面白いことに、漱石は博士辞退の表明の中で、「余はこの意味において仏蘭西にアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ」と記載している。サルトルと漱石に共通のものがある。

****************************** 

博士問題の成行 夏目漱石

二月二十一日に学位を辞退してから、二カ月近くの今日に至るまで、当局者と余とは何らの交渉もなく打過ぎた。

ところが四月十一日に至って、余は図はからずも上田万年、芳賀矢一二博士から好意的の訪問を受けた。

二博士が余の意見を当局に伝えたる結果として、同日午後に、余はまた福原専門学務局長の来訪を受けた。局長は余に文部省の意志を告げ、余はまた局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合って別れた。

 翌十二日に至って、福原局長は文部省の意志を公けにするため、余に左さの書翰を送った。実は二カ月前に、余が局長に差出した辞退の申し出に対する返事なのである。

「復啓二月二十一日付を以て学位授与の儀御辞退相成たき趣の御申出相成候処已に発令済につき今更御辞退の途もこれなく候間御了知相成たく大臣の命により別紙学位記御返付かたがたこの段申進め候そうろう敬具」

 余もまた余の所見を公けにするため、翌十三日付を以て、下に掲ぐる書面を福原局長に致した。

「拝啓学位辞退の儀は既に発令後の申出にかかる故ゆえ、小生の希望通り取計らいかぬる旨むねの御返事を領し、再応の御答を致します。

「小生は学位授与の御通知に接したる故に、辞退の儀を申し出でたのであります。それより以前に辞退する必要もなく、また辞退する能力もないものと御考えにならん事を希望致します。

「学位令の解釈上、学位は辞退し得べしとの判断を下すべき余地あるにもかかわらず、毫も小生の意志を眼中に置く事なく、一図に辞退し得ずと定められたる文部大臣に対し小生は不快の念を抱くものなる事を茲に言明致します。

「文部大臣が文部大臣の意見として、小生を学位あるものと御認めになるのはやむをえぬ事とするも、小生は学位令の解釈上、小生の意思に逆さからって、御受をする義務を有せざる事を茲に言明致します。

「最後に小生は目下我邦における学問文芸の両界に通ずる趨勢に鑒みて、現今の博士制度の功少くして弊多き事を信ずる一人なる事を茲に言明致します。

「右大臣に御伝えを願います。学位記は再応御手許もとまで御返付致します。敬具」

 要するに文部大臣は授与を取り消さぬといい、余は辞退を取り消さぬというだけである。

世間が余の辞退を認むるか、または文部大臣の授与を認むるかは、世間の常識と、世間が学位令に向って施す解釈に依って極まるのである。ただし余は文部省の如何と、世間の如何とにかかわらず、余自身を余の思い通どおりに認むるの自由を有している。

 余が進んで文部省に取消を求めざる限り、また文部省が余に意志の屈従を強しいざる限りは、この問題はこれより以上に纏まるはずがない。従って落ち付かざる所に落ち着いて、歳月をこのままに流れて行くかも知れない。解決の出来ぬように解釈された一種の事件として統一家、徹底家の心を悩ます例となるかも分らない。

 博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。

けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。

余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。

しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。

余はこの意味において仏蘭西フランスにアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。

 従って余の博士を辞退したのは徹頭徹尾主義の問題である。この事件の成行を公けにすると共に、余はこの一句だけを最後に付け加えて置く。

――明治四四、四、一五『東京朝日新聞』――

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーーー
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6146679&id=80876794&from=
2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年10月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031