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2016年10月21日13:03

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鎭心經の經題について

インターネットで正しい情報を得る最善の方法は間違ったことを書くことだそうです。そうすると自分より深い知識と経験を持つ人が間違いを指摘して正してくれるらしいので、私も鎭心經の經題についての思いつきを記してみることにしました。

最初、鎮魂と同様に「心を鎭める經」に見えましたが、ある時ふと鎭心經の心は般若心経の心と同じではないかと閃きました。
サンスクリットで見ると般若はプラジュニャーで智慧、心はフリダヤで文字通りには心臓、比喩的には核心でここでは般若心経の後半に出てくる咒を指しているそうです。
すると鎭心經は災刧を未然に防ぐ鎭めの咒の經と読めるのでは!?
心は心臓の形象文字なので般若心経を訳した玄奘三蔵はサンスクリットをそのまま漢字に写しているのが分かります。

すると大哉心靈の心も心臓ではないかと妄想が続きました。
日本語で心霊といえば独立した精神作用を持つものですが、炁楽仙女さんがこの言葉の解釈に苦慮されていたところを見ると中国語に心霊という言葉はないのでしょう。
それで心霊を心臓の霊と解いて、心は中真、アナハタチャクラを指すのはどうでしょう。唯神是守とうまく繋がるでしょうか?

蛇足ですが臨在の「赤肉団上に一無位の眞人あり」の赤肉団も心臓を意味すると聞いたことがあります。キリスト教東方教会にも心臓に意識を置いて「主、イエス・キリスト、我を救いたまえ」という短い祈り言葉を絶えず祈り続けるという行法が伝わっていて何か普遍的なものを感じます。

(最後に読み返してみると「鎭めの咒の經」は解釈のしすぎのような気がしてきました)
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