2週間前の金曜日になる。金山駅の一本南を東西に走る八熊通りを自動車で帰宅していたら、歩道の縁石におっさんが座っていた。
体操座りのような格好で、膝に顔を埋めているのである。
まさに金山駅の真南、車道は狭い。おっさんの頭頂部をかすめるようにして車が走って行く。
私は次の交差点までのわずかな距離を色々と迷い、結局、そこでUターンしさらに右折して、おっさんのいる角のあたりに車を止めた。
「なにしてるんですか」
努めて明るい声を出す。にじるような緊張感がある。おっさんは顔を上げない。
「大丈夫ですか」
おっさんの横にしゃがみ、おっさんの肩を叩く。
心配もある。苛立ちもある。複雑な感情が絡んで、思いがけず強いコンタクトになった。
「大丈夫ですよ」
肉厚な肩だった。がっしりとしている。声は明るく、しっかりとしていた。
スーツは安物だが普通、シャツは綺麗だ。首からネックストラップを下げている。名札だろうか。
死んでいる、怪我をしている、体調不良、酔っ払い、想定していた幾つかの候補が消えた。
「何してるんですか。危ないですよ。」
「いや、20分くらいこうしているんで。」
わずかに噛み合わない会話。緊張感が増す。
「そんなにですか。死んでるかと思いましたよ。」
「いえいえいえ大丈夫です」
おっさんの顔は明るかった。静かなタイプの酔っ払いを思わせるような感じ。
聞けば横浜から来たという。
「えっもう終電ないですよ、新幹線」
思わず驚いた。つられておっさんも驚く。
「えっそんなことないですよ、50分までありますよ!」
「あれ?そうでしたっけ? いやすいません俺詳しくないんで適当です」
「やだなあもう勘弁してくださいよ」
おっさんもつられて笑う。
しかし、おかしい。おかしいのだ。
金山駅から少し離れたこの場所、その時刻までに名古屋駅の新幹線乗り場にたどり着く手段がない。
頑なに大丈夫だと言い張るおっさんに会話はすぐに行き詰まった。そもそも私だって大の大人を心配できるような立場ではない。
「気をつけてくださいよ!」
会話を切り上げ、ぐるぐると色々なことを天秤にかけながら車に戻りかけ、しかし諦めて再びおっさんへ歩み寄った。
「これから名古屋駅に行くんですが、乗りますか?」
「えっいいんですか?!」
意外なことにおっさんは食いついてきた。
「ええもちろんです」
声をかけた時点で腹はくくっている。
立ち上がったおっさんはでかかった。が、まあ、腹はくくっているのだ。
エンジンをかけると消し忘れていたラジオが大きな音で鳴り始めた。野球のナイター中継だ。
「おっそういえば、横浜勝ってますよ」
「いや私阪神なんですよ」
ほんのわずかの間、野球の話で盛り上がる。阪神が失速するのはいつものことだとか、家族が阪神を好きだとか。
しかし、すぐに車内には沈黙が訪れる。
ラジオだけは嬉しそうに横浜の選手のヒーローインタビューを伝えていた。
堀川に出て淡々と北へ走る。早い道ではないが、混まない。好きな道だった。
沈黙の中、おっさんはまた顔を伏せている。疲れているのか。
「今日は、お仕事ですか」
「ええそうです」
「営業さんですか」
「はい」
「何を売ってるんですか」
おっさんは急に座り直した。
「私、もうおります」
「まだ結構ありますよ」
「いえ、ここで大丈夫です」
裏道だ。大通りではない。名古屋駅までたどり着けるか。知っていれば歩ける距離ではあるが。
しかし、おっさんを引き止めるほどの気持ちはなかったし、おっさんは名古屋駅まで行きたいだけで、行く必要があるわけではないことはなんとなくわかっていた。
「そうですか。ではお気をつけて」
信号で止まると、すぐにおっさんはドアを開けて降りた。
「ありがとうございました」
「いーえ」
おっさんは深く一礼した。私も会釈を返す。
少し長い信号待ちだったが、おっさんはその場に直立したまま待っていた。青に変わり、車を出すと、体を直角に曲げてまた深々とお辞儀をした。
サイドミラーのおっさんを目で追うが、すぐに闇に紛れてしまった。
おっさんの行き場のない感じはなんとなくわかっていた。
だから翌朝、ラジオのニュースが気になった。堀川に飛び込んだ男がいないかと思った。
深夜、名古屋市からほど近い内海の海水浴場で溺死体が上がったという。
高齢の女性と、その息子。二人は一ヶ月前から名古屋市内のホテルで暮らしていた。
それがおっさんだったのか。あるいは全くの無関係だったのか。
わからない。
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