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2016年09月17日18:26

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浮世絵 六大絵師の競演

山種美術館で開催中の『浮世絵 六大絵師の競演』に行きました。
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浮世絵 六大絵師の競演公式HP↓
http://www.yamatane-museum.jp/exh/2016/ukiyoe.html

チケットは毎度お馴染み新聞屋さんからの貰い物。新聞屋さん、いつもいつも有難う。今回の目玉は、広重の東海道五拾三次が、扉も含めて全部見られる・・ってところかな?と思います。五拾三次自体は、東京富士美の浮世絵展でも見ており(私の日記を遡ると、何処かにレポがある)その時は写真撮影OKだったので、写真も撮って来たのですが。人気作だったので、沢山摺られたんでしょうね。だから、初摺りと後摺りで違う部分もあって、マニア達は、こういうところを探して喜ぶわけですな(笑)。

個人的には、鈴木春信と清長の人物目当てで行ったんですケドね。
鈴木春信、美少年の絵があって嬉しかったなぁ。春信の描く美少年は中性的で美少女とみまごうばかり。日本人の美しさの基準って、男女一緒なんですよね。そもそも、振袖も髪を結うという行為も最初は美少年が始めたって言うのが面白いよね。それを女の子たちが見て「あれ、可愛いから真似しよう〜」ってなる。男女兼用の美なんだよね。

山種さんは浮世絵を90点くらい持っているらしい。なので、今回の展示で山種の浮世絵は殆ど見られたってコトになるのかな?

浮世絵。桃山時代〜江戸初期に風俗画が人気になる。印刷事業が活況し、その延長線上に浮世絵が生まれた。17C後半、菱川師宣が登場。師宣は、肉筆浮世絵も描いたケド、高い肉筆より、廉価な版画が庶民に人気に。初期はモノクロームの墨摺りに手で彩色していた。(昔のカラー彩色写真みたいだね) 1740年に初めて、2、3色使う色摺りが登場。1765年には、新春に配る暦の交換会が流行し、多色摺りの錦絵が爆誕!(笑) 浮世絵は、最初、美人画や役者絵が主流だった。そこでは、春信や清長が活躍した。19Cに入ると北斎や広重が登場。風景が主役の名所絵も出てくる。

まずは役者絵。何でも、ドイツ美術研究家のユリウス・クルトが写楽を評価し、近代日本で写楽が人気になったんだって。歌川派の時代は、役者の日常も描かれた。今で言う、ジャニーズアイドルのプライベートショットとか、そんな感覚ね。

奥村政信 『踊り一人立』 笠を被り、左手を上げ、右手を胸元に置き、ポーズをとっている美女。ちょっと体を捻って色っぽい恰好。ふっくら系美人だな。これは、紅絵と呼ばれるもで、墨で摺った後、1枚づつ筆で彩色していたので、色がはみ出したりしているのがご愛嬌。元禄・正徳の頃には鉱物質の鈍い赤色である丹が使われたが、享保に入ると植物の紅が使われるように。でも、植物性の絵具は色が飛んで褪せちゃうし、変色したりもするよね?政信は、享保4年頃、自ら版元奥村屋を創業したんだそうな。

同じく政信、『初代市川門之助の頼光と初代袖崎三輪野の花園姫』 館の欄干に腕を乗せ花園姫の方を見る頼光。着物の袖を咥え、ちょっと流し目の花園姫。2人は男女の役を演じてるはずなのだが、2人とも中性的であんまり男女の区別はない。2人は何か話しているのだろうか?

勝川春好 『四代目岩井半四郎、初代浅尾為十郎、三代目瀬川菊之丞』 左に綱をつけた猫を持つ女(瀬川菊之丞)、中央にその猫の首をむんずと掴んでいる男(浅尾為十郎)、右に盥を持ちポーズをとる女(岩井半四郎)。盥からは、洗濯物なのだろうか?白い布が出ている。為十郎の顔がムニュっというか、ヘニャっていうか、そんな顔なのは、わざとなのかな?こういう顔の人だった?あと、猫の顔がギロっとしてて怖い。春好は、中風を患い右手が動かなくなるも、左手で制作を続行したらしい。

東洲斎写楽 『三代目坂田半五郎の藤川水右衛門』 これは写真撮影OKでした。
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雲母摺りのキラキラ鈍色シルバーの背景の前に、腕をぐっと着物の袖に入れて見栄を切ってる半五郎。墨色の着物も恰好良い。大首絵と言われるアップのブロマイドね。

同じく写楽 『二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉』 これも写真撮影OKでした。有名な絵ですね。
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同じく、雲母摺りの背景に、口をむんずと結んだ嵐龍蔵の姿。赤茶の着物の袖をたくしあげている。
この雲母摺りは、人物を覆い(マスキングするってコトね)、余白部分に膠と混ぜた雲母粉を刷毛で塗る“置き雲母”という方法で描かれているそうな。他にも、紙に膠を摺り、その上に雲母を篩で撒いた“撒き雲母”や、絵具に雲母粉を混ぜて摺る『摺り雲母』などと言う技法もあるらしい。

雲母のキラキラを観たい場合は、ちょっと腰をかがめて、下から上を見上げるような形で観ると、キラキラが良く分かって美しいよ。照明の当たり方で、全然キラキラ度が違うんだ。昔、礫川美術館のスタッフさんに教えて貰ったの。
因みに。写楽の正体。謎の絵師の為、「実は写楽は工房だった」とか、色んな説があるのだが、今は、斎藤十郎兵衛という阿波候の能楽師という説が一般的らしい。
写楽のデフォルメは容赦なくて、皺とかたるんだ頬まで描くからね。ちょっと意地悪だけど、そこがウケたんだろうね。

次は美人画。時代が好む美しさが描かれる。衣装や髪型以外はほぼ同じ美の尺度だったり。衣装や髪型などの装いは緻密に描かれている。そっちがメイン?みたいな絵もあるよね。今で言うファッション誌の意味合いもあったからなのかなぁ。鈴木春信以降、10年ごとに美人表現も移り変わって行くらしい。清長の頃は、西洋文化の流入があり、それを機に、すっきりとした長身の美女が好まれた。ようはモデル体型。外国人の体形なんだね。これを八頭身美人の系譜として歌麿が継承していくんだって。

鈴木春信 『梅の枝折り』 女性に肩車してもらい梅の枝を折ろうとする美少女。下の女性は壁に手を置いているので、ふんばっているのだろう。少し心配そうな表情で上の女の子を見上げている。下の女性のモスグリーンの着物と、上の少女の紅の着物の対比も綺麗。それにしても、草履の脱ぎっぱなし感が笑える。急いだんでしょうね。おそらく、これ、梅の枝泥棒なんだよ(^_^;)。「わぁ、綺麗〜。1本持ってっちゃお☆」そんな感じなの。だから、急いでて草履脱ぎっぱなしなんだよ。

同じく、春信 『柿の実とり』 今度は男女だ。男の子におんぶしてもらって柿の実をとる女の子。江戸のリア充ですな。男の子の方は、前髪がまだあるので、元服前の少年。13歳くらいかな?女の子もきっとそのくらい。女の子が凄く良い笑顔なんだ。チャーミング。枝を掴んで、柿を手繰り寄せている。女の子は紫の着物。男の子は灰色の着物。きっと、この少年は、この少女のコトが好きなんだろうね。で、「わぁ、柿の実がある。食べたいは。」とか言われちゃって、「しょうがねえな!」みたいな感じでおぶったんじゃないかと。今なら、インスタにこういう写真をアップして、リア充死ね!って、書かれるところだ(笑)。

同じく春信 『色子と供』 わ〜い\(^o^)/、春信の美少年!右にお供の男。デカイ提灯を持ってる。その後ろに色子の美少年が続く。お供の男に先導されて、御座敷に行く途中なのだろう。色子の少年は菊(よね?)の文様の水色の振袖を着てるのが、まぁ、意味深って言えば意味深か。色っぽい美少年。春信の得意分野な。上部に市村座の橘紋と中村座の銀杏紋を配した提灯があるので、この色子が芝居町ゆかりの者だと分かる。お供の男が持ってる提灯には空摺りも入って芸コマ。
色子って言うのは、男の子版の遊女みたいな物ね。宴席に呼ばれて、接待して、最後ベッドインするのは遊女と同じね。違うのは、色子は美少年ってところ。舞台子は、舞台に出てる役者ね。でも、宴席に出て、ベッドインするのは色子と同じ。実は陰間と色子の区別が私はイマイチ分からない。厳密には違うみたいなんだケドね。

春信さんは、おそらく、女の人より美少年の方が好きよね?近所に平賀源内が住んでて、行き来してたって説もあって、これも超面白いんだけど。源内は美少年好きね。陰間の男の子と住んでたよ。

鳥居清長 『当世遊里美人合 橘妓と若衆』 右に黒い着物の若衆。扇子で右側を指す様なポーズ。左には2人の美女。美女たち2人は手を握ってる。右の美女は、男と話してるようだ。これ、男がナンパしてる絵だと思うんだケド。男「ねえ。彼女たち〜。あっちでお茶でもしない?」 女の子「え〜。私たち用があるんだけど、姐様どうするぅ?」 そんなところか?そして清長の美男美女は、最早10頭身くらいあるよね。

同じく清長 『社頭の見合』 境内の茶屋なんだろうか?男性が座り、左に美女たちが4人。茶屋の店員らしき2人の女は、ひそひそ話をしてるみたい。見合ってあるから、この紫の着物の女の子のお見合いなのかな?黒い着物の女の人が、紫の着物の女性に話しかけてるし。「ほら、あの方よ。」そんな感じ?右下に番いの鶏もいる。男女見合いのメタファーかな?

次に出て来るのが名所絵。江戸期五街道の整備と宿場町の充足が進み、寺社参詣等が盛んになった。18C後半、銅版画など海外文化の影響を受け、遠近法が用いられるようになる。人気絵師の絵は人気が高く、広告効果もあったらしく、名産品や店舗が描かれたりもした。

ここで、東海道五拾三次コーナーになるのだが。広重は大小合わせて20種も東海道シリーズを描いたんだそうな。それだけ人気があったってことよな。

歌川広重 東海道五拾三次シリーズ行くよ〜。
まず、『神奈川・台之景』 左3分の2は海。沖に帆船が4隻並び、舟も6隻並ぶ。右には家並みが並び、道行く人も並んでる。並ぶモノ4連発。並んで列っぽくなるのが対比していて面白い。良く見ると、旅籠の客引きに捉まって、頭かいて困ってる男の姿もある。

『大磯・虎ケ雨』 雨降る街道。家々も見える。右上には月かな?虎ケ雨とは、陰暦5月28日に降る雨のコト。“曽我物語”の曽我十郎の恋人の虎御前は大磯の遊女。十郎が討死した命日に降る雨を虎が流した涙と見立ててそう言うらしい。雨が降ってるのに、空は薄明るい。広重は雨の表現が、本当に多彩な。色んな技法で雨を描く・・描かせるんだ。これ、広重の拘りだったんだろうね。

『小田原・酒匂川』 川を渡る様子。大名駕籠を渡している。山の色合いやデザインがセザンヌっぽいんだよ。凄くモダン。河原の荒涼感も良く出てる。休んでる人足の姿も見えるね。
この川を渡す様子も良く描かれる。日本、本当に川が多いんだなっ!!って思う。

『箱根・湖水図』 山の色合いと感じが、これまたセザンヌ。急な山を登って行く一行の姿。中央少し右にテデッカイ山。構図の面白さがある。左には湖。急な坂道を登って行く絵も多かった。日本山だらけだもんなぁ〜・・・。平地の方が少ないんだもん。

『蒲原・夜之雪』 これ、私の好きな絵ね。前も出て来たと思う。雪の降り積もる道と家。雪のシンとした感じや寒さまで伝わってくる。温暖な駿河に大雪が降るコトは、実はないのだが、揃い物で天候を描き分けたので、ここでは雪景色を描いたらしい。「雪、降ったら綺麗だよね。」ってコトか。

『奥津・興津川』 篭に乗って川を渡る。篭に乗ってる人が相撲取りのようにデカイ人なんだよ。別の人足が荷物を担ぎ上げて、川を渡ってるのだが、その上に乗ってる人もデカイ人。川渡し人足大変だなぁ〜・・・。

『府中・安部川』 名ぶつとろろ汁と看板が出ている茶店。旅人が美味そうにとろろ汁を食べてる。茶店には、お茶漬、酒さかなの文字も。赤ちゃんを背負ってる店の女将さんが、お盆を持って旅人の横に立っている。とろと汁美味そう〜。何か食べたくなった。こういう広告効果があったというコトだよな!

『藤枝・人馬継立』 宿場の問屋場。人と荷の引き継ぎが行われる様子。右の問屋場に役人の男の姿。馬、荷物一行。笠を被る武士らしき人。荷物の真ん中に版元の“保永堂”の荷札が描かれ、馬の腹には“竹内”の文字(保永堂は、竹内孫八って名前)。これは、絵師と版元の遊びらしい。後ろに飼葉を食う馬の姿も。

『日坂・佐夜ノ中山』 急な坂道の真ん中に大きな石がある。その石を見物してる人の姿。小夜の中山は難所の一つ。路上にあるデカイ石は夜泣き石。盗賊に殺害された妊婦の腹から観音菩薩の霊験で出生した赤子は、この石の脇で泣いていたのを通りかかった村人に拾われる。そして、成長して、母の敵を討つ。石は殺された女の霊が乗り移り夜毎泣いた。そんな話があるらしい。それを見物してる絵なんだね。これ、前もきっと書いたな。同じ説明をした記憶が(^_^;)。坂が急坂。越えるの大変そう。

『袋井・出茶屋之図』 これ、絶対前も紹介した!でも、何回観ても気になる!木にデカイ薬缶を吊るし、湯を沸かす男女。横に旅の男。薬缶の湯気の描写が細かい!出茶屋って、本当に、こんなほったて小屋もないところで、こんな風に、木に薬缶吊るして湯を沸かしていたの?キャンプじゃん、これ。

『荒井・渡舟之図』 渡し船の船上に「イエーイ!」という感じで手を上げる人。竿で舵をとる船頭。紋入りの立派な帆船も見える。このイエーイ!の人は、何をやってるんだろう?

『御油・旅人留女』 これ、私が大好きな絵。前も紹介した。多分、五拾三次の中でも有名で、人気もあると思う。旅籠の前で旅人の服を掴み無理矢理宿の客にしようとする女。旅籠の中からその様子を見る女の姿も。宿の中には、泊り客が足を洗って貰っている。この人も、こんな風に捉まっちゃったのかなぁ?下げ札には、このシリーズの彫師や摺師や絵師の名前が入っている。これも遊びだね。遠くに海も見える。実際、御油って、客引きが凄くしつこかったらしいよ。

『池鯉鮒・首夏馬市』 沢山の馬を繋ぐ人々。馬の市場なのだろう。馬の色分けもされている。中央に大きな松の木。その下に人々が集っている。“東海道名所図会”が元ネタなのだが、広重の方が、立体的になっているらしい。

『四日市・三重川』 これも有名な絵かな。突然突風が吹いたのか、笠を飛ばされそれを追う男。凄く焦った様子だ。柳の木も強い風にあおられている。その横には、マントをはためかせた男の姿も。ストップモーションみたいで恰好良いよね。

『庄野・白雨』 これ、富士美で写真撮って来た記憶がある。薄墨を用い、線一本ではなく、面で描く雨。雨でけぶる様子が良く出ている。篭屋も歩く人々も、背をかがめ足早に行こうとしている。薄墨の木々の様子も良いんだな。

『阪之下・筆捨嶺』 坂下と関との間にある藤の茶屋。男が絶景の岩山である筆捨山を見ている。何でも、狩野元信が絶景を前に、素晴らしすぎて、筆を捨てた・・という逸話があって、この名前らしい。茶屋内にも人々がいて、やはり岩山を見ている人の姿もある。裾野の緑も効いている。この絵のポストカード欲しかった。なかった。

『水口・名物干瓢』 女たちが干瓢を削り干している。右奥にも、干瓢を干す人物の姿が。これも名物系の絵な。コレ見て、「水口寄ったら、干瓢お土産に買ってきて!」とか言われたのかな?

『京師・三條大橋』 京都だ〜!!到着した〜!!終点〜!三条大橋を渡る人々。これも元ネタは『名所図会』。茶せん売りや、被衣を被った女たちは江戸の人がイメージする都風俗ってコトらしい。大きな荷を運ぶ人々の姿も見える。遠くには山。旅行気分も、これにて終了となるワケです。

同じく広重。これも有名『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 ゴッホが模写したコトでも有名よな。大雨が降る中、橋を渡る人々。腕まくりをする人の姿も。これは何と言っても、雨の描写の恰好良さよな。薄墨で遠景に森(山?)も描かれている。

同じく広重 『阿波鳴門之風景(雪月花之内 花)』 元ネタは、淵上旭江の『山水奇観』。遠近法が使われ、遠くに山で、手前に島々が見えている。これ、シリーズで花、月、雪ってあるんです。雪月花ね。でも、この絵に花は描かれてないの。何でも、波を花と見立てて描いているんだって。こういう洒落っ気を江戸の人は好んだらしい。渦潮のぐるぐる凄いなぁ〜。

同じく広重 『近江八景 唐崎夜雨』 どしゃ降りの雨。墨色の山。元々水墨画風の画趣を狙ったので、色は渋く、墨色主体。拭きぼかしという技法を使って描かれている。色板の版画を濡らした布で拭き、水気を与え、その上に刷毛で絵具を刷いて伸ばすらしい。絵具が水気で滲んだ状態で、紙を置いて摺るんだそうな。渋くて恰好良かった。

浮世絵はこれで終わりなのだが、第2会場の方では、近代絵画の展示があった。山種さんは、本来、こっちが専門だよね。

加山又造 『夜桜』 これ、私の大好きな絵です。薄墨の闇の中、艶めき咲く、満開の桜。桜色の花びらが麗しい。右には月。点々のこの花びらの細かさね。描いてるうちに嫌にならないんだろうか?って言う(^_^;)。

横山操 『越路十景のうち 「間瀬夕照」』 藁葺屋根の家。背景は銅金。遠くに赤茶の夕日。故郷の新潟とその周辺の実景を描いた連作の一つだそうな。瀟湘八景のうち“漁村夕照”を下敷きにして描いた。この銅のような金のような色ってどうやって出しているの?何回観ても不思議なんだよ。

特別展示で酒井鶯蒲の『紅白蓮・白藤・夕もみぢ図のうち「夕もみぢ図」』があったのだが、何でも、お〜いお茶の秋限定パッケージにこの絵が採用されたんだって(笑)。へぇ〜、今度見てみよう。

お土産はポストカード6枚。春信の色子の美少年は絵ハガキにしてくれないんですね、山種さん! 9月29日までやっています。

浮世絵好き、特に広重好きは行くと楽しいかと思います。

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