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2016年09月13日14:28

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タラレバ娘の5巻までの感想を論文形式にしてみた

演題 未婚者の楽しい生活が招く晩婚化の行く先 


副題 漫画「タラレバ娘」(作者 東村アキコ)考察


結論 楽しい事を優先した結果、を受け入れたくない

概論 知ってしまった快楽を手放せなくなった結果、ハードルを上げる事の意味



1 33歳、彼氏なしが10年くらいの3人組の話し。

倫子は脚本家、昔口説かれた男がダサかったから拒絶、10年後、見た目も中身も大人になった男に口説かれるのかと勘違いする(倫子のアシスタント狙いだった)、イタイ。同時期に仕事にも行き詰まり(結局若い新人の枕営業で負ける)、自棄酒中、タラレバの名付け親であるモデルのイケメンKey氏と関係を持つも、Keyの真意は不明のまま。その後趣味の異なるイケメンをゲットするも話が合わない(もっと言うとお互いに合わせようという気が無い。男はバットマンの「ダークナイト」が観たいし、倫子は「SATC」が観たい、という齟齬を刷り合そうとする努力をしない)ので切る。


香はネイルサロンの経営者。10年前にバンドマンと同棲経験があるも、生活費を入れないバンドマンを切る前に医者と関係を持つが、携帯を見られて両方と終わる。その後バンドマンが売れている事に気付いてセカンドとして関係が続くも、妊娠か?


小雪は居酒屋を実父と経営。サバサバしていた感じだが、これまた既婚者と不倫関係に陥る。この既婚者がかなり出来る(悪い意味で)既婚者で、おそらく不倫経験者。気持ちいいくらいに小雪を思い通りに出来てる。


本来この3名は、たまたま、オリンピックが東京で開催される事に驚き、その時1人だったらどうしよう、というずっと前から分かっていたであろう事実を突きつけられた事で動き始めた。



しかし、それまでは女子会を楽しく行い、楽しいからこそ、やめられなかった。


それを急になんとかしようとしても難しいし、若いに価値がある事になっている世界では、10年のブランクは大きい。その間の仕事も、非常に充実していたであろう。



相手の価値を受け入れたり、妥協する、という考え方を嫌悪し、自分の感じ方のみに固執しているので、自分の夢のようなぼんやりとした目標を相手に(しかもその夢は女子会で、より醸成され、より無理目になってゆき、しかしそれそこが楽しいわけだろう)、現実がキツイと言っているが、それは自分でハードルを上げた結果だという自覚がない。



2 漫画の向かう先 予想


この漫画では、ある種のダメージがあった後に、繰り返されるのが「そういう自分をひっくるめて受け入れてくれ」という主張の1点張り。さらに受け入れて欲しいまだ見ぬ相手に、そこそこ見た目も収入も良い、オンナが夢見られる容姿の男で、という但し書きがついている(漫画では言語化されていないが、明らかに繰り返されている)。


あくまでも、漫画なので、この主人公たちの、女性漫画での、バッドエンドは考えにくい。しかし普通にこの3名の行く末を無理やり漫画的な落としどころの考察すると、結婚出来ないのではなく、覚悟を持って、結婚しない。未婚者同士で家を近くに住んで(同居でも可)女子会をエンドレスに続ける。しか無い気がする。


漫画的展開なら、Key氏がすごい年上好みで倫子が前の奥さんの身代わりを引き受ける(きついけどね)ので結婚、香はセカンドからの這い上がり(バンドマンが何かに気付いて、俺が悪かった、という展開)1番になる、小雪の不倫が本妻に収まる(書いてて、そんな事あるわけねぇ、という突っ込みが止まらない・・・)なんだろう。どれもヒドイ展開と言わざるが得ない。


楽しい女子会を繰り返す、という事は、ハードルを上げる、という事実を知れるだけでもいいと思うが、自分がどうなりたいのかを考えだすのが極端に遅い。同性同士の方が感情的にも、ノリ的にも話が早いのは当然だから、楽しいのは理解できる。が、それはドーピングであり、楽しさを知ってしまうと断りにくいし、もっと行きたいと思うのも仕方がない。しかも異性がいる場における態度なり言葉使いなりに対してメンドクサイというハードルを上げる効果まである。



女子会を頻繁に繰り返せるくらい、生活の自由度が上がったわけで歓迎すべき事だ、という視点が欠けていると思う。



3 漫画を受けての男性側の問題点 晩婚化


で、男性側の問題ももちろん晩婚化に寄与している。


男性側には責任を強く付与され、家族を養う事を前提の上で、婚姻関係を結ぶことになるという考え方そのものが、共働きをせねば生活できない社会、女性の社会進出が飛躍的に上がった社会では、自明の理ではなくなってきている。さらにその責任を背負う気概も少なく、余暇を個人的趣味に没頭させたい人間の増加、しいてはリチャード・ドーキンスのいう『利己的な遺伝子』の働かない(無論遠未来においてこの行動が利己的であったという結論が生まれる可能性はあるが)少子化傾向の強い社会になって久しい。



また男性側の婚姻関係を結ぶことへのメリットが、子孫への配慮さえ外せれば、婚姻関係でしか無しえない、と言える事象が少ない(仲人 という存在が薄らいでいく過程と似ている家制度、家同士の結婚という概念の消失)。これはかなり前から当然であったが、社会的な圧力(結婚して一人前という社会的圧力)さえ希薄になった事でさらに少子化へと拍車がかかった。



複雑になった高度資本社会の中では、幸せ、幸福、という概念が単純に信じられる事象がなくなり、個人差が大きくなる。また経済行動でその代用が効く利便性と自由さえ手に入れた(コンビニも性産業も)。そして知ってしまったからこそ、手放す事が非常に難しくなっている。



そもそも婚姻関係を結ぶこと(妙に女性側は 選ばれた という意識が働くのであるが)はゴールではなく、恐らく、楽しい事はもちろんあるが、よりいろいろ嫌なツライ経験を一緒に過ごさねばならないわけで、その部分への考察が無い。(著者の愚考 一緒に苦労をしたい相手こそ、結婚相手にふさわしいのではないか?)そもそもその辺を含めて刷り込みがあるのかもしれない。しかし、だからこそ、婚姻関係を継続する努力を払う事で、欲望を手放すチカラ、ある種の諦観を飲み込む訓練にはなるかも知れない。



結論 漫画「タラレバ娘」は『楽しい、という選択を繰り返しいてきた30オーバーは、その楽い行為(女子会)を繰り返すことで徐々に、自らの理想のハードルを上げるという行為である』事を啓蒙している。



自虐的に読むのも面白いが、本当に読まれるべきはおそらく20代前半の女子であろう。その点ドラマ化は善きことかもしれない。


だが、未婚であるという利点にも、ポジティブな(自由度や利便性)考察が欲しい。




で、6巻発売。面白いっす。


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