膨張宇宙論でどうしても納得できないことがあるのニャ。
それは、空間が膨張しているという主張ニャ。
内部構造が今のところ想定されてない電子などのレプトンやクオークには、内部空間を考えなくても良いニャろね。
だが、陽子などのハドロンはクオークが組み合わさって出来ていると見られている以上、内部空間を想定しない方がおかしいはずではないかニャ。
さらに原子は陽子や中性子と電子から出来ていると見られている以上、これらの粒子の存在の場としての空間がないと考える方が馬鹿馬鹿しいはずではないかニャ。
もしも空間が膨張しているというなら、ハドロンや原子はどうして膨張していないのかニャ。
ご都合主義にもほどがるのでニャ。
ご都合主義と言えば、遠くを見ることは過去を見ることと宇宙論では当たり前のように言われているニャ。
ところが、遠くの方ほど赤方偏移が大きいことがわかると、将来はもっと膨張が加速すると真顔で議論が展開され、遠くを見ることは過去を見ることだからそれ違うと、誰も突っ込んでいないように見えるのニャ。
遠くの方ほど赤方偏移が大きいことは遠くの方ほど膨張が早いことを意味しているなら、遠くを見ることは過去を見ることなはずだから、宇宙の膨張は減速して、今は検出不能なほど遅くなっているという議論が展開されないとおかしくないかニャ。
さらに言えば、加速度と重力は区別できないとアインシュタインは指摘しているニャ。
ハッブルが観測した赤方偏移の正体が、アインシュタインが放棄してしまった宇宙定数の存在の証拠だったらどうニャ。
ちなみに、宇宙定数は宇宙項とも呼ばれているニャ。
アインシュタインがあっさり宇宙定数を手放したのは、引力だけでは宇宙は一瞬で縮んでしまうので、引力と大きさが同じで向きが反対の力として苦し紛れに導入したのが宇宙定数だったからニャ。
それはプランク定数を見出したプランクが、プランク定数を暫定的に導入したに過ぎないと考えていていたことと似ているニャ。
プランク定数は実在すると考えるアインシュタインのおかげで物理学に定着したが、宇宙定数には重力に斥力なんか見つかっていないし見つかるはずもないと誰も救いの手を差し伸べなかったと言う点が違うけどニャ。
歴史にもしはないが、仮にアインシュタインが、宇宙定数は引力と向きが反対なだけだから加速度と区別がつかないはずでハッブルの発見は宇宙定数の存在を裏付けた、と主張したならその後の宇宙論の展開は大きく変わっていたかもしれないニャ。
今、皮肉なことに膨張宇宙論は再び宇宙定数に注目しだしているニャ。
だが宇宙定数はもともと、定常宇宙論とペアで提起されたのであって、宇宙膨張を論じるためではないはずニャ。
膨張宇宙論に合わせて宇宙定数を定義しなおすなら、宇宙定数はかえって宇宙論に新たな混乱をもたらすことになるのでニャ。
どこまでもご都合主義な膨張宇宙論に未来があるとは、とても思えないニャ。
裏口から宇宙定数に変装させて招き入れるなんて、姑息過ぎニャ。
正直にアインシュタインが提起した通りの姿で、宇宙定数をレッドカーペットを敷いて玉座に迎え入れるべきでニャ。
その時は、膨張宇宙論がアインシュタインの定常宇宙論に降伏の白旗を掲げる時ではないかニャ。
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