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2016年09月04日11:43

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【チラシのウラ】 サルも木から落ちた時

数十年前の棋譜を諳んじ、数十手の攻防を読みきる。

数百手の対局後に、感想戦(対局者同士によるリプレイと自己批評)で、
瞬時に勝負の分かれ目のシーンを再現し、
「この状況は昭和XX年のA名人とB7段の対局にそっくりだ」「でも、あの時は角行の筋の効きが違っていた」
そんなレベルの会話をする。
ソレが、プロ棋士だ。

プロは、過去と未来の一切に通じ、まるでそのことごとくを把握しているようだ。


・・・だが、そんなプロであっても、
今、目の前にあるたった一枚の歩の存在を見落とすことがある。

過去のあらゆるデータと、未来のあらゆる予測、
それらを瞬時に集約し、一手一手、最善手を追究する。
そんなプロが、「ここに歩を打てば、ソレが最善だ」という演算を完成させた時、
その目の前の盤上で、既に同じ筋にある歩を見落とす、そんなことがある。


これを、『ヒューマンエラー』という。

将棋だけでなく何事においてもこうした事故/ヒューマンエラーはどうしても発生する。

ヒューマンエラーの確率を、完全なる0にする。
・・・なんてコトは、絶対に出来ない。
きわめて僅かであっても、その確率は残り、決してゼロになることは無い。


将棋でのことであれば、対局した棋士以外には特に影響は、ない。

だが、
ソレが、人と関わる仕事をしているところでおこったならば、
その影響範囲は時に、とてつもなく大きくなりうる。

だが、「影響範囲が他者に及ぶような事柄で、そんなことが起きると困る」、と思って幾ら努力したところで、
エラーが怒るであろう予測はつねに成立するし、
将来のエラーを「起こしにくくする」事はできるが、「0にする」というコトは、不可能だ。

もちろん、
ヒューマンエラーへの対策は、
そのエラーを起こしにくくする、という努力目標は最低限の前提であるが、
先に述べたように、そこには限界がある。
そして、限界があるが故に、それだけでは足りない。

エラーの発生確率を下げる努力をして、そこに一定の効果が見られても、
その確率が0にならなければ、僅かでも残っていれば、ソレは対策としては不十分だ。

だが、ゼロに出来ない。

ゼロに近づける努力が一定の効果を表して、そして、ある、とても低い数値に達してしまうと、
もはや、それ以上の努力を重ねても、その費用対効果、努力に対する成果は、これ以上は望めない、割に合わない、という限界領域がある。

ところが、限界領域は、
しつこく繰り返すが、
努力の成果の限界でしかなく、「所詮、ゼロではない」のであって、つまり、「永遠に不十分」なのだ。


ならば、どうするか。

サルは、まず木から落ちないが、
しかし、
サルが樹に登る以上は、、サルは木から落ちる可能性はゼロにはならない。
さりとて、サルは木の上にいるし、樹にのぼるものだ。

どうする?

そこで、問題を考える。

サルが木から落ちたら、困るのか?
困る。
どう困る?
地面に叩きつけられ、怪我したり死んだり、そういう事故になる。

ならば、落ちても大丈夫なら問題は無いのか?

落ちる可能性がゼロにならないならば、落ちても最悪の事態を起こさない対策で補うしかない。

そうか、では、セーフティネットを設置しよう。


ここまでやって、ヒューマンエラー対策と言える。

こうした対策を講じるのが、リスク管理というやつだ。



ワタシたちの周りには、
リスクがあちこちにある。

確率の小さなリスクもあるし、大きなリスクもある。

また、
身近なリスクもあれば、見えているが手の届かない雲の上のリスクもある。


高度にクラスタ化した現代社会において、
ワタシたちは、そのことに、鈍感であってはならない。










将棋 郷田王将が二歩反則負け
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4175781
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