mixiユーザー(id:34664676)

2016年08月30日21:52

249 view

いじめに遭ったら

■これが教育現場の現実。いじめから逃げ回る教師の聞いて呆れる言い訳
(まぐまぐニュース! - 08月30日 15:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=240&from=diary&id=4167829


「イジメ」それは他者を貶め苦しめ存在をとことん否定されるシステム。


いじめる側は相手を徹底的に痛めつけて存在を否定してくる。自分の優位性をアピールするように、堪った鬱憤を晴らすように・・・・・

その手段は物理的、精神的に相手を貶め、最終的には自殺に追い込むことだってある。でもいじめる側の心は痛まない。何故ならいじめる側にとっては戯れであって、殺すことが目的ではないからだ。いじめる側にとって虐める人間はおもちゃに過ぎない。だから反省もしないし罪悪感も無い。


一方、いじめられる側は物理的、精神的な暴力を受け心も体も次第に病んでくる。そして、その苦しみから逃れるように自殺に走るケースも多いことだろう。運よく死ななくても心に大きな傷を抱えながら苦しみ続ける。




私自身も小学校、中学校と虐められていた。苦しかった、悔しかった、先生に相談しても意味は無い。どうせ相手に謝らせたらそれで終わると思っているのだから。そのあとすぐに報復を受けることなど知る由も無いだろう。


親に相談しても意味は無かった、返ってくる言葉は「いじめる側も悪いけどいじめられるほうにも原因がある」なんて、抽象的な言葉で解決した気になって、自己満足に浸った馬鹿な親には期待しなかった。


だが、そんな自分に解決の道を説いてくれた人物がいた。その人物こそ祖父だった。祖父は私の話を聞くとこう言った「やられたならやり返せ」と、私は正直怖かった。自分より強く、大人数で自分をいじめてくる相手が心の底から怖かった。だが祖父は「本当に怖いのはそんなおかしなことが正されない事の方がよっぽど怖いだろう?」と私に言った。それから私は覚悟を決めて死に物狂いで抵抗した。「どうせ死ぬならどちらでも同じことだ」と思えるようになったからだった。


その後、中学を卒業し、高校は地元の人間がいないような県外の高校に進学した。そこでは自分を知る者は誰もいない。友人関係を作るのにも苦労はしたが、親友と呼べる存在もできた。先日、親友から「そういや俺たちも長い付き合いだよな〜」なんて言われて気付いた。親友と出会って10年の月日が流れていた(まあ、それだけ歳をとったということでもあるのだが(笑))


苦痛に満ちた9年と、親友と過ごした10年では全く時間の間隔が異なっていた。



つまり、やることは単純明快、自殺なんてするぐらいなら死ぬ気で抵抗し、時を待って逃げれば良い。命ある限り戦え、そして生き抜くんだ。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する