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2016年08月20日08:36

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人間

■たたかれ、かみつかれ… 障害者施設の職員、絶えぬ傷
(朝日新聞デジタル - 08月19日 13:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4150831


まずはじめに。

俺はそんなに長い期間じゃないけど、幾つかの介護施設で働いてた事がある。

その中には当然暴力を振るってくる利用者さん、ほとんど意思疎通が叶わない利用者さんもいた。

で、もう何年も業界で奮闘してる先輩達はそういう利用者さんの扱いが解ってるっていうか、
まるで合気道みたいに暴力を自然と受け流す人だったり、
あるいは「わたし、〇〇さんに殴らえると愛を感じるのよねーwもっと殴ってーって感じ!」みたいなことを笑顔で言えちゃう菩薩の生まれ変わりみたいな人だったり。

だけどその多くは、よくも悪くも経験にものをいわせる「ロジカルな対応」になっちゃってて、俺はなんとなくだけど、暴力的な利用者さんのうちの何割かは、そういう「お仕事的対応」に対して腹を立ててるんじゃないかなって感じたんだ。

例えばこれは特養老人ホームで出会った重度の認知症のおじいちゃんの話なんだけど、その人は「今日は娘が会いに来るんだ!こんな姿で会うわけにはいかねえんだ!だから起こしてくれ!」って言って叫んでる。

実際には娘さんが会いに来る予定は入ってない。
そしてそのおじいちゃんは腰を悪くしてるから、無理に起こしたらマジで背骨骨折とか骨盤骨折とか起こる。
ていうか実際そんな感じで寝たきりになった人。

「娘さんはねー、今日は会いにこないんですよー」って言って聞かせても当然「うるせえ!テメエに何が解るんだ!会いにくるって約束なんだよぼけが!」って怒鳴り散らして、コップ投げたり花瓶叩き落としたりしちゃう。

だから先輩のほとんどは、もうそのおじいちゃんのこと無視してるんだ。
どう相手したって怒鳴られるだけだから。

でも俺はそこには研修で行ってただけだから、後腐れないってのもあって、あえて先輩の助言無視してそのおじいちゃんの話真面目に聞いてみたんだ。

おじいちゃんはもう本当に、娘が今日会いに来ると思い込んでる。

認知症の人って記憶の前と後ろがごっちゃになっちゃうから、何年も前の約束を「今日のこと」だと本気で錯覚しちゃったりするんだ。

おじいちゃんは本当に心から、「今日娘が会いに来る」って思い込んでる。

だからそれを否定したって当然怒鳴ってコップ投げるだけ。

だから「そうなんですか、娘さんが会いに来るんですね」っていうと、「ああ、そうなんだよ、会いに来るんだよ。こんな寝たままのだらしない格好じゃ会えねえだろ?だからさ、起こしてくれよ」って返ってくる。

無論腰を悪くしてて寝たきりだから、起こすことはできない。

でもそれを伝えると当然激高する。

「なんでだよ!娘が会いに来るんだよ!起きてちゃんとした姿で会えないなんて、そんな馬鹿な話があるかよボケが!ああ!?こんなベッドに括りつけて、惨めな状態で娘に面会させて、それをテメエら嘲笑ってやがるんだろ?解ってんだよボケが!このクソッタレ!」

もう何をどう言っても話が前に進まない。
だから職員達が皆「この人相手にしてる暇あったら他の山積みの仕事こなさなきゃ」ってなるのも当然といえば当然。

でもあえてそこでまた踏み込んでみたんだ。

そのおじいちゃんの睨みつける目を見つめ返して「〇〇さん、解りますよ、父親として、娘さんに情けない姿を見せたくない、これ以上心配をかけたくない、会いに来てくれた娘さんを、ちゃんとベッドから起きて、着替えて、ビシっとした姿で迎えてあげたい、その気持ちは本当によく解ります。だけど〇〇さんの腰はもう限界なんです。俺だって起こしてあげたいんです。〇〇さんをちゃんとした姿で娘さんに会わせてあげたいって本気でそう思ってます。だけど〇〇さんの身体の事を考えたら、それを許可してはあげられないんです。〇〇さんの事が嫌いだからじゃないですよ、○○さんの身体が心配だからです。俺だって辛いんです」

って、若手俳優もびっくりの熱演でまくし立てるように言ってみた。

そしたらおじいちゃんにも何か伝わったみたいで「ああ・・・解ってる。あんたはいい人だ。あんたは嘘をついてない。あんたの言うとおりだって解ってるんだ。だけど娘がなぁ・・・でも諦めるしかねえのかなぁ・・・」って返ってきて。

「俺が〇〇さんの娘さんだったら、身体を悪くして入院してるお父さんには無理して起き上がって待っててもらうより、安静にして待っててくれたほうが何倍も嬉しいし安心しますよ。娘さんを心配させたくないお父さんの気持ちは解ります。でも心配になっちゃう娘さんの気持ちも、察してあげてください。それに家族と会う事の嬉しさは、ベッドの上か椅子の上かで増えたり減ったりしません」って言ったら、そこでようやく納得してくれた。

「ああ、ああ、そうか、そうだよな・・・。これ以上心配かけちゃいけねえよな。分かった。あんたの言うとおりだ。寝て待つことにする。あ、でも俺はあんたの父親じゃねえぞ」

って。

無論翌日には俺の事も昨日のやり取りも忘れてて、また同じことの繰り返しだったけど。
それでも同じことを繰り返せばやっぱりそれ以後、記憶が再び混濁するまでの間は静かに待っててくれる。

また別の通所介護施設での、別の利用者さんの話。

そのおばあちゃんは入浴介助をとにかく嫌がる人で、お風呂に入れるために触ろうとすると、ものすごい暴れて、引っ叩いたり引っ掻いたりする。

だから入浴介助の際にはみんな手を焼いてて、なんせ手が掛かるからってんでその人がいつも一番最後って事になってた。

で、ある日俺がそのおばあちゃんを担当する事になって、服を脱いでもらおうとしたらやっぱりすごく嫌がる。

なんていうか、人に触れられることをすごく怖がってるように感じた。
触れられる事が「嫌」なんじゃなくて、「怖い」なんじゃないかって。

怖いのに、近づいてくるから、殴って引っ掻いて退ける。

そんな感じがしたんだ。
だから俺はもう正直にそのまま言ってみた。

「俺みたいな新米に、それも男にこんな入浴介助されるなんて嫌ですよね。自分が☓☓さんの立場だったら、自分も同じように断固嫌がると思います。だけど☓☓さんに安全にお風呂入ってもらうためには、どうしても付き添って、肌に触れないといけないんです。触れる事を許してもらえますか?」って。

跪いて、目線を揃えて真面目に話したら、何も答えてはくれなかったけど「嫌だけど、まあ、許してやる」みたいな感じの表情になって、自分から服を脱ごうとしてくれた。

それでも実際身体障害者向けの入浴用の椅子に載せようとすると「やっぱり嫌だ!無理!」みたいな感じで暴れだして、どうしていいか解らなかったから、なんかこうそっと抱きしめてみたんだ。

「大丈夫だよ、心配しないで」ってあえて言葉にせず、とにかくそういう気持ちが伝わるように優しくそっと抱きしめてみた。

そしたら最初はやっぱり嫌そうにするんだけど、徐々に抵抗が弱くなって、最後は自分から俺にスッと身を預けてくれたんだ。

その流れを見て先輩達が「あの☓☓さんが黙って静かにお風呂に入るなんて嘘みたい!☓☓さん花田君の事相当気に入ったのね!やっぱり若い男の子だと違うのねぇ」なんて言ってたけど、多分俺が若い男だからとかそういう事とは違う。

先輩たちはみんな入浴介助とか俺より全然「上手い」んだけど、良くも悪くも「うまいやり方」をするだけなんだ。

「嫌がってる」のか「怖がってる」のか見ようとせず「ほーら、暴れないでくださいねー、引っ掻いたら痛いですよー、ねー入りましょうよー、入ってみたら絶対気持ちいいですよーお風呂!だから、ね!」っていって無理矢理入れさせようとしちゃう。だから暴れる。

後で知ったんだけど、そのおばあさんの旦那さんは妻に偏執的な愛情を向けるタイプ、つまり「愛しすぎているがゆえの暴力」を振るうタイプの人で、さらに旦那さんも認知症が現れてきてて、一時期はかなりひどい目にあってたらしい。

一日が終わっておばあさんを家に届けにいくと、本当に再開を待ちわびていたかのような、一日寂しさを必死で我慢してた顔で迎えに出てくる旦那さん。

とても暴力を振るうタイプの人には見えない。

けど、言葉に耳を傾けると、そこにはやっぱりほのかな狂気が滲んでる。

「☓☓・・・どこに行ってたんだ☓☓・・・俺は本当に寂しかったんだ。もう二度と会えないかと思ったんだ。解るだろ?愛してるんだ。☓☓?なんで応えてくれない?」

☓☓さんは車いすの上で、怯えたようにうつむいて、旦那さんと目を合わせようとしない。

「☓☓・・・おい、なんでこっちを見ないんだ。おい、俺は寂しかったんだよ。本当に。聞いてるのか?なあ、どうして解ってくれないんだ。どうしてお前は」

そのあたりで先輩が旦那さんを目で牽制というか「暴力は許さんぞ」みたいな顔をして、それに気付いた旦那さんは無言で奥さんを家に運び入れていく。

だけどきっと俺らの目の届かないところで。

そりゃああんだけ怯えるよな。人から触れられるのが怖くなっちゃうのも解る。


それから、そんな長い間じゃなかったけど、そのおばあさんの入浴係は俺が担当みたいになって、やっぱり俺が☓☓さんと接する時だけは☓☓さんは暴れたりせずおとなしく従ってくれてた。

俺ははっきり言ってその辺のところは結構上手いほうだと自分でも思う。

皆が「この人は手に負えない」って匙投げる利用者さんを相手にするのがわりと得意な人間。

その人がなんで怒ってるのか、なんで暴れるのか、本当に真剣に活目すれば、大概はその根っこが見えてくる。
そこが見えてさえくれば、大体それは相手にも伝わって、途端におとなしくなってくれる。

その上で、なんだけど。


そんな俺でもどうにも出来ない相手っていうのもいるんだ。

どれほど深く理解しようと試みても、どれだけ気持ちを汲もうと務めても、その想いの100分の1すら伝わらない相手っていうのもやっぱり介護の世界にはいる。

こういう事を言うのは不謹慎だと解ってるし、不誠実な発言だとも自覚してる。

だけど俺は彼らに対して「自分と同じ人間」だとはどうしても思えなかった。
彼らが獣とどう違うのか、その定義を自分の中で打ち立てられなかった。

彼の暴力は、「怯え」から来るものじゃなく「破壊」を目的としてる。
「破壊するつもり」の全身全霊の暴力を誰彼構わず向ける。

彼の叫びはきっと何かを訴えてるのだけど、どれだけ感覚を研ぎ澄ませてみても、それが何を訴えているのか、全く微塵すら汲み取れない。

いつものように便器のすぐ横に垂れ流された糞尿。
きっと悪意なんか無く、彼らには「物事を認識する能力」が欠落してるだけなのだけど、彼らは「わざとこんなところに毎回糞尿をして職員に嫌がらせしてるんじゃないか」っていう気持ちにさえなってくる。
いや、そんな考えはゆがんでる、自分が間違ってる、でも、じゃあ狂ってるのはどっちだ?みたいな具合に自分まで狂気に取り込まれていく。
冷静な思考力がこっちまでだんだん奪われていくんだ。

そういう種類の知的障害者というのは実際いる。
それも、いる施設には沢山いるんだ。

自分のこれまでの「介護経験」なんて全部おままごとの遊びだったんじゃないかって思えるくらい、別次元の世界。

職員は本当にみんな死んだ目をしてる。
仕事は概ね粗雑で、まるで「人間相手」の仕事とは思えない。
家畜、あるいは檻の中の奴隷を管理するかのように。

だけど彼らを責められない。

「あの場所を埋め尽くす狂気」が、そこで長く務める彼らから正気を徐々に削りとっていくんだ。

異臭と奇声と暴力と圧倒的な過剰労働。

本当に、空間そのものが狂気で満ちてるんだ。

理性や感受性、愛情や献身、全てが歪んでいくような感覚。

ただただひたすらに過酷で、苦痛で、「人への献身」がしたくてその仕事に自ら就いたのに、その場所を拒絶する心が自身のうちに芽生える。

それはゴキブリを拒絶する感覚に似てる。
ゴキブリを愛しなさい、ゴキブリに優しくしなさいって言われても、それはとてもむずかしい。

仕事だからゴキブリを剥き出しの手のひらにのせる、そこまでは吐き気をもよおしながらどうにか我慢しても、それを口の中に入れて体中を内側からゴキブリに蹂躙されて、「それがあなたの仕事なのだから耐えなさい」と言われたら。

多分壊れる。

ああ、これ、無理、壊れる、そう思って俺は早々に逃げ出した。
ここに長くいたら俺も人間として壊れる。
致命的に何かがおかしくなる。
そういう確信。
だから退職日とか何も決めず院長と話し合いもせず3日目くらいで問答無用で即辞めた。

本当に無理だった。

俺はぶっちゃけ「この仕事嫌だな」って思ったらすぐやめて他の仕事をする、で、また嫌だなってなったらそこもすぐ辞める、そういう元来的に自堕落な人間だからすぐに離脱できたけど、俺より真面目な人、俺より思いやりのある人、俺より信念の強い人は、「それでもここで頑張らねばいけない」って必死にそこで耐えて、で、耐え切れず壊れていくんだと思う。

実際そこで見た、死んだ目の先輩たちのように。

あの時あそこで見た先輩達のうちの誰かが「その後植松被告になった」のだとしても、俺は不思議じゃないなって思う。

俺は新宿2丁目で男性相手に身体を売る仕事や、肉体労働や便所掃除、電話応対のクレーム処理みたいなバイトもやってきたし、単に肉体的に過酷な仕事、条件がきつい仕事、精神的にくる仕事も色々やってきた。

だけどその殆どは「無理だから」じゃなくて「その仕事をあんま好きになれなかったから」辞めたんだ。

だけどあの職場だけは「ここにいたら絶対に気が狂う」っていう確信のために辞めた。
あんな気持ちで逃げ出したのは後にも先にもあそこしかない。

そういう職場も実際にある。

「そこまで過酷じゃないところ」なら、制度や国の賃金保証なんかをしっかり整えていって、人員をしっかり確保できればわりと改善の余地はあると思うし、下手すりゃそもそも改善する必要がないくらい働く側にとって条件の整った施設なんかも現にある。

だけど現実「狂気の庭」としか形容できないような施設も存在して、職員も含めて何もかもが壊れてしまってるから改善していくことすらままならない、そういう場所も現実にあって、じゃあそれをどうしたらいいのかってなるともう本当にいい案が思い浮かばない。

俺は結構上司とかにもズケズケ意見言っちゃうタイプだから、もし何かしら思いついたなら「ここはもっとこうしたほうがいいですよ」ってはっきり言ったと思う。
だけどそこでは本当に1から10まで全てが歪み過ぎてて、もう何も言えなくて、ただ逃げ出す事しか出来なかった。

だけど「そういう種類の障害者」が生まれてきて、誰かしらが文字通りの意味で「自分を犠牲にして」その世話をしなければならない現実。

植松被告が言う「ある種の障害者は、あらゆる意味で不幸しか生まない。彼らは死んだほうが世のためだ」という言葉を、人として絶対に認めたくない、受け入れたくないと思うのに、頭の奥深くで彼の言葉を「理解」してしまってる。

家族からすらも「もういっそこいつを殺してくれ・・・」と思われてしまうような、そういうレベルの凶暴な知能障害者は実際にそれなりの数存在する。

不運にも「そういう利用者」ばかりで埋め尽くされてしまった施設は、本当に地獄のような心地がする。

俺達が安穏と日々を暮らす日常のすぐそばに、蓋をされて隠蔽された本当の地獄がある。

あの職場を辞めてからもずっとそんな感覚が消えない。
もうほとんどトラウマになっちゃってて、だからそれ以降介護関係の仕事は一切してない。

あのレベルの狂気の園で本当に心を病まず健やかに10年20年働き続けられる人がいるなら、その精神的方法論を全世界に公表すべきだと思う。

そんなものがもし存在するなら、それはマジでノーベル賞どころじゃない人類への多大な貢献になると思う。

本当の意味で優しい世界って一体なんだろうね。
考えれば考えるほどむずかしい。
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