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2016年08月07日04:55

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 【質問】 ファシズム・イタリアの青少年組織について,3行以上で教えてください.(下書き)

 【質問】
 ファシズム・イタリアの青少年組織について,3行以上で教えてください.
Kérem, mondja el a Fasizmus - Olaszország ifjúsági szervezete a három vagy több sorban.


 【回答】
 1930年代になると教育はファシズム一色となり,全国バリッラ事業団 Opera nazionale balilla (後のリットリオ青年団)により,青少年は以下のような組織に組み入れられた.
6歳〜8歳:「牝狼の息子たち(フィーリ・デッラ・ルーパ)」.
〜11歳:「バリッラ少年団」.木製の銃を与えられた.
〜14歳:「前衛少年団(アヴァングァルディスティ)」,本物の銃を与えられた.
〜18歳:「青年ファシスト隊(ジョヴァンニ・ファシスティ)」

 バリッラ事業団は1926年に設立されたが,これは半国家的な「事業団」でありながら,党の付属機関であるという複合的性格を持っていた.
 1940年には同組織に183万人が加入していたという.

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 13歳でもう子供ではなくなった時,教会やカトリック・クラブに自分が属している感覚は殆どなかった.
 教会はファシスト党政府が私たちの心を支配しようとするのに対して,平衡をとる存在だった.
 小学校ではヒトラー・ユーゲントに対応する「バリッラ」が組織され,中学校では「アヴァングァルディススタ」の,そしてその上に行くと「ジョヴァンニ・ファシスティ」のメンバーになるのだった.
 中には制服やパレードに心を奪われる者もいたが,私と友達はひっきりなしの行進と演説にうんざりした.
 私たちは古い中庭でサッカーやピンポンができる,カトリック・クラブのほうが良かった.
 こういったスポーツは今でも好きだ.
 私たちのお気に入りの催しは,週末の自転車旅行だった.
 修道僧たちはスータン(カトリック教会の僧侶が着る平服)をひるがえし,アルノ渓谷沿いの小高い村々へ私たちと一緒にペダルを漕いで行った.
 夏には何日もかけて,遠くシエナやアレッツォまで出かけた.
 それに比べるとファシスト党は退屈に思えた.

------------フランコ・ゼッフィレッリ『ゼッフィレッリ 自伝』(東京創元社,1989), p.22

 【参考ページ】
http://t.co/Feg5mgao9N
http://www.ps.ritsumei.ac.jp/assoc/policy_science/113/113_04_takahashi.pdf
http://ona.blog.so-net.ne.jp/2014-02-06



バリッラ少年団の団歌「Duce a noi」

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