まずは無責任に文面を読む。
文章が散乱気味で話題が飛びがち、思い出したように本筋に戻る、
彼はおそらく多動性障害かそれに近い言動をしているはずだ。
何かしていても常に並行して別の何かを考えていて不注意なタイプである。
(ただ型にはまればマルチタスク的に物事をこなすこともあるし、スポーツなど複数の判断を同時にこなすものに向いている場合もある)
本人はそれを気にしていて、丁寧な文面はそのような言動を隠すために獲得したものだろう。
文面の一方で文字が矯正されていないのは、若年時に外観の綺麗さに価値を置いていなかったことを示す。
さらに自分で言及している容姿の悪さから、対人関係の自信はなく、
しかし内面を評価する価値観を持っていることから、表面上の軽い付き合いは非常に良好だったはずだ。
「内面の良さ」を「表現」するには、紳士的な言動と人当たりの良い性格を演出する必要がある。
これらの内外の自信の揺らぎと並行処理的な思考から、躁鬱的でキレやすい印象を周囲に与えたはずだ。
手紙にも「外見はとても大切なことに気づき」と現在形で書かれているように、
内面重視の価値観から外面重視へと、比較的最近になってシフトした可能性はある。
もしかするとそれが表面的な目的とは別の「心理的な原因」ではないかとも思われる。
「否定される自分」を「世界のための革命=自分より価値のない障害者をぶっ殺す」、「名を変え姿を変え英雄として生きる自分」
という線が、表面には現れない彼の心の奥底で線として繋がったのかもしれない。
世界レベルの革命を謳いながら、容姿の悩みまで書いちゃうあたりが自信と信念と隠しがたい認知欲求を感じさせるのである。
手紙の内容の方へ入っていく。
この手紙において興味深い部分の第一は、自分の意見が潜在的な一般大衆の要望を満たしており、
賛同を得られるという自信に満ちているところだ。
3枚にわたる手紙全てに、それが現れていて、揺るぎない。
法的に問題があることは自覚していて、しかし時の権力者は賛同すると思っている。
第二は、ある意味で深い洞察である。
盲目的な左翼思想よりはよほど正確に障害者の実態を捉えている。
「保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。」
だろうね。これは左派系活動家からはまず出ない言葉だ。
第三は、それとは矛盾する愚かさ、幼稚さ。
1枚目フリーメーソン、2枚目UFO、3枚目法を操り無視できる権力者、ほぼ役満だろう。
とりあえず統合失調かそれに近い部分を疑う領域には達している。
その実在しない権力者に衆議院議長を選ぶというキャスティングもまた輝いている。
大真面目で書いているのなら嘲るところだが、精神的不具を装っているなら一級品だ。
そしてそんな彼が無事に教諭免許を取得しているというのもまた興味深い。
統合失調に紛うような発想の人々の中に、結構な秀才がいるのは時々目にする。
お勉強と精神的な偏りに強い相関関係はないということだろう。
この手の秀才は文系が多いという印象だが(平等に貶しておけば、理系は独特の理屈まがいの変人を抱える)、
少しその実態は気になる。教育学部は一般には文系だっけ。
記事中、自分が精神鑑定を受けて無罪になることを自ら言及している。
一見これは理知的で、冷静であることの証左だという人もいるだろうが、
こんなものをこんなところに書いちゃって5億円要求している時点で明確にまともではない。
もう一度書くが、精神的なアレと知識のアレは別ものなのだ。
人を公然とぶっ殺して金がもらえるという思想にも見られるが、とにかく個と全体の価値観の混交が甚だしい。
人を何人殺そうが世界のためにはならないし、大島議長が世界を救えると思う人もおるまい。
世界を救うという視点であれば、彼の人生設計などどうでもいいし、容姿に自信がないから美容整形するなど塵ほどの価値もあるまい。
もっともこれは、革命家気取りには総じて見られることではある。
誰が右翼小説家の呼びかけごときで軍事クーデターなど起こすものか。
ただ、例えば企業会議で新しい案をぶち上げる必要が出てきたときなど、誰もが陥るのだけどね。
そんなんで爆発的に売上なんか上がるかよ、と過去の自分にも思う。
手紙には書かれていないが、障害者の価値を否定する凶行をした彼が、自ら障害者へ関わっていった経緯は分からず、興味深い。
もちろん邪推は可能だ。
一番シンプルなものとしては、見下す対象としての障害者を身近に置くことで自分の価値を相対的に高めるという欲求だろう。
個人的な最近の考察では、人間の認知欲求に原点を置いて見ていて、この事件にもそれを当てはめるのであれば、
「生きる価値のない障害者」というものを軸にした論理が彼には当てはまる気がする。
彼にとって、彼の認知欲求を満たせるものが、「障害者を守る素敵な自分」から、「ダメな障害者を排除した英雄」へとシフトしていったと考える。
この手の悲惨な事件において、得てして加害者の言動は封殺される。
宅間守は多弁であったが、一部の(っていうかNHKの)ドキュメンタリを除いてほとんどカットされているし、
サカキバラの絶歌もまた酷い批判を浴びた。
だが、加害者がありのまま、虚飾も含めてありのまま語る文章というものは、下衆なメディアよりもよほど多くをもたらす。
■園名挙げ「障害者470人抹殺」 衆院議長宛て手紙に
(朝日新聞デジタル - 07月27日 05:24)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4113000
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