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2016年07月13日11:10

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帝国主義者 ドイル

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%AB

さすが、ドイルについてのウィキペディアは充実。
ここで、ドイルが、戦争支持者、帝国主義者である事が分かる。

タイタニック号の事件は、絶頂期のイギリスの象徴だった。
タイタニックの女性救命優遇と、演奏家達の演奏についての美談について 
バーナード ショーは批判したが、
ドイルは証拠を上げて 論争する。

アメリカにとってのベトナム戦争は、イギリスにとってのボーア戦争。
ゲリラ戦に悩み、捕虜を虐待し、強姦も行われた。
ドイルの戦争擁護論は、今のアメリカを彷彿とさせる。

ドイルは、2つの冤罪事件に膨大なエネルギーを注いだ。
1つ目は、家畜の切り裂きジャック事件とも言うべき連続事件。
2つ目は、ダイアモンド強奪事件。
2つ目は、ユダヤ人だったから、フランスのドレフュス事件みたいだが、
冤罪を被ったのは、軽犯罪常習者だったから、さぞかし、気が重かっただろう。

ドイルは9人兄弟で、父は、ドイルの医学部入学と同時にアル中で入院してしまった。

父は、祖父や父の兄達の輝かしい成功についてゆけず、コンプレックスを
抱いたようだ。
ドイルの姉、2人は、ポルトガルで働き、仕送りしていた。
ドイル自身もボーア戦争に従軍したが、
第一次大戦では、長男と、義兄2人、弟1人が戦死した。

長男、長女を生んだ、21年間連れ添ったルイーズが結核になった頃、
ジーンと知り合い、10年間、プラトニックラブ。
ジーンとの間の2人の息子は、著作権をめぐる争いをする、放蕩息子だった。
末娘のジーンは、軍人となり、軍人と結婚した。

ドイルは身長180cmを超え、体重も100kgを超えていた。
万能スポーツマンで、心臓発作を繰り返して亡くなる。

図書館で、分厚いドイルの書簡集を借りてきたが、余りに厚いので、
今日まで、読めずにいた。
ぱらぱらと見た所、イラストや写真もけっこうあり、
解説付きなので、分かり易い。
医者なのに、歯が痛くて困っていたりしてるので、俄然、面白くなってきた。

彼は、なぜ 免許も取れなかったのに、眼科をやりたかったのだろう?
医者を始めた頃は、もう一人の医者に文句を言われるほど、
患者の受けが悪かった。

しかし、彼は、コッホの結核治療法の理論の誤りを正し、
これは、後に、ドイルが正しかった事が証明された。

ドイルの論争は、一勝一敗というところか?

緋色の研究は、アメリカの出版社の依頼だったから、
アメリカが半分 舞台になっているんだな?

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