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2016年07月05日11:50

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ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの神学・哲学に関心を持ち出して^^

「�狠寮�を持つ人間は、神のはたらきによって、神に依り頼む信仰をもつように、つくられている。信仰をもつとは、完全に神に従順となることである。そしてそういう信仰が人間知性にあるとき、人間知性は、かれが信じるキリストのペルソナ性にならうことで、ペルソナ化する。しかしながら、信仰がないときは、不信仰のもつ否定性によって、人間知性は、内的にペルソナ化する。そしてこのペルソナ化は、けつして人間知性に何かが外から加わって起こることではない。(『オルディナティオ』)��

この数行は、すでに述べたように、スコトゥスの論述のなかではとくにわかりやすい文章である。スコトゥスの論述は、一般的には、数行の引用でも専門用語の解説を長々としなければ一般の人にその全体の意味を理解してもらうことが期待できないほど煩瑣である。スコラ哲学の専門家でさえ、関わりを避けているのがスコトゥスの論述だと言っても、あながち嘘ではない。ドイツの現代哲学者ハイデッガーも教授資格論文でスコトゥスを取り上げていながら、それ以降はいっさい関わろうとはしない。現代の専門の哲学者ですらそういう状況なのであるから、当時も、スコトゥス神学の論述の奥底までかかわることができた研究者はかなり少なかったのではないかと思われる。」

上記は、先日紹介した、八木雄二著『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』(ちくま新書)からの引用である。

中世哲学においてスコトゥス神学・哲学は、かなり厄介な論述をしていたらしい。現代においても、あのハイデッガーですら、若き日の教授資格論文「ドンス・スコトウスの範疇論と意義論」でスコトゥスの論述を扱っているらしいが、それ以降、スコトゥスの論述は関わろうとはしなかったという。

では、スコトゥスの論述が持つ�猗僂錣靴記瓩箸浪燭世蹐Δ�。そしていかに煩わしい論述といえども、中世哲学においてヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの存在はアウグスティヌス、トマス・アクィナス、アンセルムス、オッカム等と並ぶ、いやそれ以上の存在感を持つ神学者であり、哲学者ではなかったのかと思うようになった。

�狠羸づ�学史�瓩蓮�一般にキリスト教神学をベースに古代哲学史のプラトン、アリストテレスの哲学を取り入れて論じられていったと考えられる。しかしそこにはイスラム教の媒介なしには西洋の�狠羸づ�学史�瓩和減澆靴覆い里任△襦�では、そのイスラム教は中世の切りす知今日神学や哲学的思索にどのような影響を与えたのか。

この点に関しては、古代ギリシアのプラトン、アリストテレスの著作等が直接中世ヨーロッパに入ったのではなく、一旦イスラム教圏を媒介にして中世ヨーロッパに入ったことは有名である。つまりそこでイスラム教圏の哲学者の解釈が入ったプラトン、アリストテレスの哲学が中世ヨーロッパの神学・哲学に輸入されたことになり、イスラム教的な解釈のプラトン、アリストテレスの哲学が中世ヨーロッパの神学、哲学的思索のペースとなっていることになる。

その点を踏まえても�狠羸づ�学史�瓩琉婬舛和腓�い。わたしは大学で西洋近代哲学のカントを並んでいたが、やはり�狠羸づ�学史�瓩砲和腓い亡愎瓦�あった。その理由が�狠羸づ�学史�瓩�キリスト教神学と大きく影響していたからなのである。

わたしは、八木雄二著『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』を読んで、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの神学・哲学に大いに関心を持った。その関係で、ハイデッガーの教授資格論文である「ドンス・スコトウスの範疇論と意義論」も読んでみたくなったし、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの論述も『中世思想原典集成 18 後期スコラ学』(平凡社)で読んでみたくなった。また八木雄二さんや『普遍論争―近代の源流としての』(平凡社ライブラリー)の著者である山内史朗さんのスコトゥス論も読んでみたくなったのである。

ヨーロッパにおける�犖朕夕腟銑瓩箸蓮�中世ヨーロッパにおける神と人間との�爛撻襯愁吻瓩鬚瓩阿誅請茲�ら始まったと言われる。そしてその決着は今なお付いていないという。そのような思索の上に成立した�犖朕夕腟銑甅犖弔梁砂鏑瓩箸い�思想の重要性を確認するためにももう一度、�狠羸づ�学史�瓩箸�にヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの神学・哲学を考えてみることも悪くはないと考えているのである。
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