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2016年06月03日21:21

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ヘイトスピーチなんてほっときゃいいのだ

現行法でヘイトデモ厳格対処へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4025362

基本的に私はヘイトスピーチを法律で規制することに反対である。それよりも表現の自由を広く確保することのほうが優先度は高い。

ほっときゃいいのである。あんなものはやっている当人たちが恥を振りまいているだけで、政治的実効性はほとんどない。表現の自由が十分に確保されている社会におけるヘイトスピーチは、逆効果なだけである。「私たちは非文明的な低空児です」と自己証明しているようなものだ。

ああいうヘイトスピーチが効果を発揮するのは、むしろ公権力が表現の有り様を規制する、ナチスドイツや現代の北朝鮮、あるいは中国のような社会においてである。それも公権力お墨付きのヘイトスピーチになった場合だ。

理由は簡単で、表現の自由が存在しない社会では反ヘイトスピーチがなされないからだ。現代日本でヘイトスピーチが大した効果を持たないのは、そこかしこにヘイトスピーチを減殺する多様な言論が存在し、誰しもそれらに触れることができるからである。ヘイトスピーチのような極論に社会が流れていくことを抑止する最良の方法は、権力による剪除ではなく、議論を相対化させる環境を作ることなのだ。

手元にある誠信書房から出版されている『プロパガンダ』という本では、簡単に説得されないように自分の信念を支えるための有効な方法について次のように指摘されている。

「自分の信念を支えるよう動機づけるには、私たち自身、信念が影響を受けやすいことを認識する必要がある。そのための最良の方策は、あらかじめ信念を軽く攻撃しておくことである。・・・簡単に説得されてしまう人というのは、重大な挑戦を受けたことがないスローガンにもとづいて自分の信念を形成している人なのである」

つまり街中で見かけるヘイトスピーチをしているおバカさんたちというのは、ここでいう「簡単に説得されてしまう人」なのである。そして連中がやっているヘイトスピーチは、むしろ世の人々の信念を「軽く攻撃」する役割を果たしている。だからヘイトスピーチは皮肉にもヘイトスピーチ耐性を身につけさせる効果しか生まないのだ。冒頭、「逆効果なだけ」と書いたのはそういう理由である。

むしろ危惧するべきは、ヘイトスピーチ対策にかこつけた権力による表現の抑圧である。何をもって「ヘイト」とするかの決定権を権力者に握らせることほど危険なことはない。「在日を殺せ」がヘイトなのか、それとも「安倍やめろ」がヘイトなのかは、権力者が決めることではない。石破茂が自民党幹事長のとき、国会前のデモを「テロと変わらない」と評したことを国民は忘れてはならない。

権力者というのは、石破に限らず自分の意見に沿わない言論を「テロと変わらない」と感じる人種なのである。そういう人間に、何をもって「ヘイト」とするかの決定権を与えたら、どんな運用をし始めるかは自明のことだ。

言論を一色に塗り潰す裁量権を権力者に与えるくらいなら、おバカなヘイトスピーチくらい安いものである。ほっとくのが一番だ。
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