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2016年06月02日17:32

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「アベノミクス」に限界論も

「アベノミクス」に限界論も
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4022397

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安倍政権が消費税増税を再び延期したのは、消費の低迷など景気の足踏み状態が続いていることが背景にある。安倍首相は「アベノミクスの加速」を宣言したものの、その効果には限界が見え始めており、2019年10月に再増税できるような「強い経済」の実現は見通すことができない。

 12年12月に発足した安倍政権はデフレ脱却に向け、大胆な金融緩和▽機動的な財政政策▽成長戦略−−の「三本の矢」を掲げ、当初は円安・株高の進行や企業業績の改善など大きな成果を上げた。しかし、14年4月の8%への消費税率引き上げ後、消費の冷え込みが長引いたことなどから、安倍首相は同年11月、10%への再増税を15年10月から17年4月に延期した。

 安倍首相は「デフレ脱却からのチャンスを手放すわけにはいかない」として更なるアベノミクス推進を訴えたが、その後も経済成長はプラスとマイナスを繰り返し、低空飛行が続く。物価上昇率は原油価格の下落もあって今年4月はマイナスに落ちこむなど、デフレ脱却も見通せない状況だ。

 安倍首相は1日の記者会見で新興国経済に問題があると繰り返し、「アベノミクスは順調に結果を出している」と強調した。しかし、増税できるような経済環境を2度にわたり整えられなかったことについて、「アベノミクスの限界」を指摘する声は強まりつつある。

 企業業績は依然好調だが、賃金や設備投資の伸びは限定的で、安倍政権が目指す消費拡大への好循環は機能しないままだ。構造改革など成長戦略の推進は不十分で、成長力を大きく底上げするには至っていない。頼みの日銀の金融政策についても、今年2月のマイナス金利導入後に円高・株安が進むなど、その効果は不透明感を増している。

 新興国経済の減速は長期化する恐れもあり、アベノミクスがこのまま目立った成果を上げられなければ、19年10月の再増税も困難だ。財政健全化も実現不可能になり、日本経済は大きな混乱に陥る恐れもある。日本総研の山田久チーフエコノミストは「これまでのアベノミクスの評価をしたうえで、必要な政策の修正を行うスタンスが求められている」と指摘している。【小倉祥徳、秋本裕子】
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僕は経済の専門家でもない。安倍晋三など馬鹿なおじさんくらいにしか思っていない。さらには、大勝した自民党には夜盗の子分みたいな人間がたくさん入ったんだろうと思っている。

そういう訳だから、アベノミクスなど最初から信じていないのである。それは、自分が支持しない政党がそうするからではなく、馬鹿がやる馬鹿なことは失敗するのが相場と決まっているというそういう根拠にもならない理由からである。

ここで信じる、信じないと書いたのはまことに正しい。それはつまり合理性をもって経済を判断しているのではない、という表明でもある。ゆえに内心は苦々しくおもっていても、アベノミクス云々について語ることはしてこなかったはずである。

三本の矢がなにかは知らないが、大胆な財政出動と金融緩和がその柱なのだろう。詰まる所、その基礎はケインズの論理だろうし、やってることは家計を立て直すために、ちょっと借金してくるわ、という酔っ払いみたいなものである。

(あー、専門的な小さい所は知らない。大学教授などのいう違いは、カブトムシとカナブンは同じ虫とは呼べないという程度の事もよくあるからね。)

(あと、これは悪意のある比喩であって、まったく同じことを別の例えでも書けるからね。つまり、心臓病の子供を救うにはとても高い手術を受けさせるしかない。だから、彼は莫大な借金であっても躊躇なくサインしたのである、みたいなね)。

そのパクリ元であろうレーガノミクスは確かにアメリカの強い経済をもたらした。しかし、それは中間層の破壊であって、長くアメリカをむしばみ遂にはトランプのような人が大統領になれる混乱となってしまった。

長い目でみたら、それこそが没落の遠因になったのかも知れぬ、と後世の人は語るかもしれないし、またはトランプこそアメリカの中興の祖であると例えるかも知れない。短い命ではそれを確かめる術もない。

経済的に強くなるために格差を許容することは、国内動乱の萌芽を育てることと同値である。世界にあるあらゆる問題のほとんどはお金さえあれば解決するものだし、その根っこにあるのはすさまじいまでに悲惨な経済格差である。

トマ・ピケティが問題とするのもそこであろうし、そもそもマルクスが経済論を書いた理由もイギリスにある格差という問題意識が背景にあったろうことは十分に考えられる。

というわけでアベノミクスはともかく、竹下平蔵だけは決して許すべきではないし、まともな死に方をさせるべきではないと考えるが、それでも、である。

ここにきてアベノミクスの限界であるとか、失敗という連中は、自分のことを無能であると告白しているに過ぎない。

少なくとも「安倍晋三とその政権たち」はアベノミクスをやるにあたってこっそりとやったり、誰にもばれないように何かを仕組んだということはないはずだ。

彼はさまざまな愚かな目論見を持つ人間だが、少なくともわりかしにはオープンにやっていると思う。消費税の延長だって、答弁云々はともかく、説明しようとはしている。

もちろん国会での論争とは呼べない中傷合戦や、すぐに民主党はできなかったと非難する、小学生程度の感情を吐露するおじさんであることは知っている。だが、それはひとこと愚か者と呼んでおけば済む話であって、

しかし、彼が愚か者であることと、彼の政策の失敗を、今になって批判するなど、まったく関係ない話であって、

まして彼が嫌いであることは、決して彼の政策のすべてに反対という理由にもならない。

もし失敗すると思ったのなら、最初からそういうべきだし、どこがどういう理由で失敗すると語るべきだ。少なくとも、彼は何をしようとするかは全てオープンにしていたはずだ。その帰結だって、成功するにしろ、失敗するにしろ、合理的に説明可能であったはずだ。

更には、そこまで分かっているなら、だからどうすればいい、と改善案を提出して初めて、論戦の場に立てるというものだろう。

結果らしきものが出てから失敗であったなどと、恥ずかしくないのだろうか。さらに言えば、これが本当に失敗であるかどうかも分からない。

あと、1歩、更に押し込めば倒れる壁かもしれないし、どうやっても倒れない壁かも知れない。それは誰にも分からない。

分からないがそこを押している人がいる。その人の意見には賛成しないとしても、懸命に何かを押している人を後ろから揶揄するような話はいけないのである。

取るべき態度はふたつだ。彼の後ろから押すのを手伝うか、壁の周りをうろうろとして、別な場所に何かがないだろうか、と探すことだ。

それ以外の何も意味はなかろう。

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