mixiユーザー(id:33240433)

2016年05月23日10:32

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孔子の話。

記事の引用を取らずに書きますが。

国語の教科書にあった、孔子の話ですから、多くの方がご存知とは思います。

孔子が、ある村を訪れたところ、村長が嬉々として話しました。
「うちの村にはとても正直者の男がいます。
 自分の父親が犯罪を犯したのですが、それを隠さず通報したのです。」
孔子は、「それは正直というものではない」と言いました。

これは、長年、嫌いなエピソードだったわけです。
まあ、今でも嫌いですが。
要するに、悪人は悪人として通報するべきですよ、と思うわけです。

ただねえ、

これ、

昨今のネットの状況を見ると、孔子の正しさみたいなものもあるのかなと。
米軍兵暴行事件とかね。集団的自衛権の話とかね。
自分が右派のせいもあって、全体に言って、左派(ここでは、日本でいう一般的な)は論理的に苦しい。

米軍兵の犯行 → 米軍は出て行け

が成立するのなら、

「ある集団に属する人の犯行」 → その集団は出て行け

が成立しなければならない。どう細部を飾ろうともね。
論理には公平性が必要ですので、Aに適用するならBにも適用しなければならないはず。
そもそも、個人を集団を区別せずにレッテルを張るのは典型的な差別ですし。
したがって、米軍出て行けとい人たちは、馬鹿右翼と同じ論理構造にいるわけですよ。
なんなら韓国人男性なんて全員元韓国兵ですよ(笑。
地位協定はないが報道協定はありますしね。

ただ、そういう指摘もまた不毛なのかなあと。
必要な指摘だとは思いますけどね。
メディアが大衆迎合すぎたり、逆に弱者優位を誘導しすぎたりしてるんですかねえ。
メデイアが正論を吐いて、それを大衆が感情的に対立するのが望ましいのか、
メディアが感情論を履いて、それを大衆が正論で対立するのが望ましいのか、
ちょっとよくわかりませんね。

まあ、新聞が理屈としておかしなことを書くと、
リアルタイムで反論が入るようになったのは間違いなく良いことだと思います。
旧来はその記事単体だけで批判していればよかったけれど、
現在では批判の公平性が指摘される(例えば民主党政権への批判の甘さ)のも、
メディアに高度さが求められるという点では良いことです。
ただ、その肝心のメディアに筋や気骨が感じられないのは厄介ですけどね。

最近、正論にまみれすぎて、孔子の話が頭に引っかかっていました。
やはり孔子が正しいとは思いませんが、
一方で、父親をかばう息子がいたとしても心情的には許容するでしょう。
しかしまたある一方で、それを公然と広めようとされれば非難もしますし、
自分が被害者であれば糾弾します。
そのあたりを矛盾しているとは思いません。
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