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2016年05月17日21:53

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ドゥーチュィムニー「そもそもなぜ沖縄に米軍基地が多いのか? 基地移転のきっかけはあの戦争だった」

 小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』では、毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている。今回は沖縄県に数多くある「アメリカ(米)軍基地」について、ジャーナリストの堀潤さんの解説を、本誌より紹介する。


 日本を代表する観光地である沖縄県。今から約70年前、この地は悲劇の舞台になりました。アジア・太平洋戦争では一般市民までもが戦闘に巻き込まれ、爆撃などによって多くの犠牲者を出し、「お国のために」と自ら死を選ばざるを得ない人もいたという、とても悲しい歴史を持っています。みなさんよりも少し年上の少年少女たちが兵士や看護師として戦争に駆り出され、傷つき、命を落としていったのです。

 戦後、日本は連合国軍によって占領され、本土は1952年に独立を回復しましたが、沖縄は72年までアメリカの領土でした。当時、日本中には数多くの米軍基地が存在していたのですが、本土で基地反対の運動が起き、次々とアメリカ領だった沖縄に移されました。現在、国内の132カ所に米軍基地があり、うち33カ所が沖縄にあります。

 戦後、日本とアメリカは「日米同盟」を結びました。日本が他国から武力攻撃された場合、日米がどのように協力し合うのかなどのルールを、さまざまな条約や協定によって決めています。そのうちの一つ、「日米地位協定」では、米軍が日本を守る代わりに、米軍基地の建設や維持費は主に日本が負担し、米軍の兵士には原則、日本の法律の権限が及ばない特権も保証しています。

 これによってどんなことが起きたのでしょう? 例えば、95年に3人のアメリカ兵が12歳の沖縄の少女を拉致して、性的に暴行するという卑劣極まりない事件が発生しました。それにもかかわらず、日米地位協定で定められた特権によって、3人のアメリカ兵を日本の法律で裁くことができなかったのです。アメリカ兵が起こした事件はほかにもあり、沖縄県民のみなさんを苦しめてきた事実があります。こうして「基地反対」の声が大きくなっていったのです。

 沖縄県では、例えば普天間(宜野湾市)のように基地が住宅街の真ん中にある、辺野古(名護市)のように海を埋め立てて新たな施設の建設が必要など、さまざまな問題を抱えています。しかし政府は、“日本とアジアの安定のために、米軍基地が必要”という立場から、「基地反対」の立場をとる沖縄県とは対立関係を続けています。かつて本土にあった基地が沖縄県に移っていった結果、必要以上にその負担を沖縄の人に背負わせてしまっているのかもしれません。日本に住む私たち全員で、この問題と向き合っていきたいですね。

■「反米・反基地」の声が基地移転のきっかけに

 1960年代に起きた「ベトナム戦争」も移転の理由の一つだといわれています。アメリカとソ連(現在のロシアなど)が間接的にベトナムで争い、多くのベトナム市民やアメリカの若者兵士が死んでいったひどい戦争でした。日本でも学生などによる反戦運動が活発になり、「基地は出ていけ!」という声が高まりました。これに危機感を抱いた日米の政府は、本土にあった基地を次々とアメリカ領の沖縄に移していきました。

 ベトナム戦争では、沖縄の基地が米軍の出撃地点になり、位置的にとても重要な場所でした。また、経済発展を目指す日本にとっても、米軍が国防を肩代わりしてくれることは都合がよかったのです。

(ジャーナリスト・堀潤)

※月刊ジュニアエラ 2016年5月号より
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