下記は、今年4月16日に発売した
【喘息と体罰の少年時代(販売URL:
http://p.booklog.jp/book/91507/)】
からの抜粋です。
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平成二十七年四月二十七日の朝、母が自室から出てきませんでした。
「おお〜い、朝だよ」
声をかけると、寝ぼけたような声で返事がありました。母が起きてこないので、毎朝母が作ってくれる野菜ラーメンは、食べませんでした。その日、僕はポール・マッカートニー来日公演を観に東京ドームに行く予定でした。それまでも母が時々起きてこないことがあったので、気に留めませんでした。部屋を覗くと昼寝していることもありました。なので、二十七日も気にせず、僕は昼近くに東京ドームに向かいました。夜遅く帰宅。次の日もその次の日も母は起 きてきませんでした。時々部屋を覗いて
「大丈夫か〜?」
と声をかけると寝ぼけたような声で
「大丈夫」
と返事がありました。また、僕が自室にいると、誰かがトイレに出入りする音や台所に出入りする音が聞こえるので、
・・・母が起きてるのかな?
と思っていたのです。ですが、あとで振り返ると、それらの物音は、定時制高校二年生の次男が発した物音でした。母は寝たっきりだったのです。二十九日の夜、帰宅した妻が言いました。
「お義母さん、ここ二、三日部屋から出てこないみたいだけど、具合が悪いなら病院に連れて行ってあげて」
それで、翌三十日の朝に母を起こしに部屋に入りました。母は、右手を上にして横向きに寝ていました。右手を引っ張りながら、起こしてあげるのですが、左手で体を支えることが出来ないようです。身体障害者の僕は、それ以上は何も出来ないので、ゆっくり手を放すと、母は再び横になりました。そして枕元の家具に右手を伸ばして、掴まって起きようとしているのです。ですが、やはり起き上がれない様子でした。再び、
「大丈夫か〜?」
と声をかけると寝ぼけたような声で
「大丈夫」
と返事がありました。しかし、その寝ぼけたような母の声と、動かない左手とを総合して
・・・これはきっと脳梗塞だ
と確信に近い感覚でした 。それで救急車を呼んで大森赤十字病院に搬送してもらいました。診断の結果は脳梗塞。僕に とっては見慣れたMRI画像を見せられて、医師から説明を受けました。右の脳の血管がちょうど中央付近で詰まってしまったようです。血管が白く写っているその画像には 、右脳の中央付近から末端までの血管が写っていませんでした。母はそのまま入院。
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四月二十七日の朝の時点で、救急車を呼んでいれば、酷い状態にはならなかったかも知れませんね。
三日間も放置してしまった手遅れの脳梗塞、、、、、
昨日、母の病室に見舞いに行きました。
【明日は、お母さんが脳梗塞になって1年だよ。何か欲しいものある?】
と尋ねると、なぜか笑顔の母。
四月二十七日の朝に脳梗塞で倒れて以来、初めての笑顔でした。
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