■大学教授「保育士不足は、保育士による声なき抗議」と指摘
(週刊女性PRIME - 04月16日 13:50)
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(わたしの紙面批評)#保育園落ちたの私だ ネット上の「声」、より的確な反応を 宇野重規さん
「保育園落ちた日本死ね」。一人の母親の書いたブログ記事が、日本の政治とメディアを激しく揺さぶっている。その衝撃は多くの人が思っている以上に深く、遠くにまで及ぶのではないか。
この記事がネットの匿名サイトに掲載されたのは2月中旬のことである。その直後から、さまざまなネットメディアに転載、引用され、大きな反響を呼んだ。共感する声が圧倒的であり、「#保育園落ちたの私だ」というハッシュタグ(検索ワード)がつくられ、「よくぞ言ってくれた」という投稿が殺到した。
これに対し、新聞メディアの反応は、いかにも遅かった。このブログを民主党(当時)の山尾志桜里議員が国会で取り上げたのが2月29日、朝日新聞の最初の記事は3月4日付夕刊社会面の「待機児童問題 広がる共感」だった。ブログの紹介やネットの反響を含め、報道の内容も的確である。ただ正直なところ「今頃になって?」という感想を否めなかった。
政治の反応はさらに遅かった。山尾議員の質問に対し、安倍晋三首相は「匿名であるので確かめられない」、議場からは「誰が書いたんだよ」とやじが飛んだ。これに対する反発が広がり、「1億総活躍」を掲げる安倍政権は一転、待機児童問題の改善を必死にアピールせざるをえなくなる。「大したことはない」という政治の思惑を、ネット世論がひっくり返したという意味で画期的な出来事であった。
この事件が新聞や国会で取り上げられると、「言い方が乱暴だ」、「日本死ねとはどういうことだ」という反発も見られるようになる。たしかに、ブログ記事は怒りと絶望感にみちている。ヘイトスピーチにも通じる文体であるのはたしかだ。
とはいえ、3月27日付朝刊コラム「政治断簡」で政治部の高橋純子記者が「おなかの底から発せられた主体的な言葉は、世界を切りひらく力を、もっている」と書くように、ブログの破壊的ともいえる文体は、多くの人に「それはまさに自分の問題だ」と思わせるパワーをもっていた。
しかしながら、「保育園落ちた」事件で本当に重要なのは、文体の問題ではない。より重要かつ深刻なのは、知や情報の世界における権威の変化であり、それに対する政治やメディアの反応の遅れである。
この問題については、これまでも多くの報道がなされ、指摘がなされてきた。にもかかわらず、今回のブログ記事ほどの反響を呼んだものはまれである。誰が書いたのかもわからないブログ記事の方が世論に影響を与え、政治やメディアがそれを後追いした今回の出来事は、ネット社会のあり方を考える上で示唆的である。
新聞やテレビといったメディアが力をもったのは、「今の世の中で、これが重要だ」という判断基準を示すことにあったとすれば、その力はネットに奪われつつある。今や、新聞もテレビも平気で「ネットで注目の話題」を紹介する時代である。伝統的メディアとしての存在意義が問い直されている。
その意味で、単に現象を後追いするだけではなく、問題をじっくり考える材料を提供することは新聞の重要な役割だ。例えば3月10日付朝刊3面「保育制度充実を2万7千署名」は「保育園落ちた」を切り口に、背景となる要因を考察していて読み応えがある。
現在、安倍政権の取り組みにもかかわらず、再び待機児童の数が増えている。小規模保育所の支援などが打ち出されているが、保育士の待遇が悪く、必要な数の確保は容易でない。朝日はこれまで精力的に取り上げてきたが、さらに手厚く報じてほしい。
ネット上における新たな「人々の声」の噴出に対し、政治とメディアはいかに的確に反応できるか。かつその上で、自らの主体性を示せるか。重要な転機になりそうだ。
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上記は、今朝の朝日新聞に�爐錣燭靴了飜免禀将瓩箸いΕ魁璽福爾亡鵑擦蕕譴拭�宇野重規さんの「#保育園落ちたの私だ ネット上の「声」、より的確な反応を」というコラムの全文である。
わたしがこのコラムでもっと注目したのは、次の件である。
「この事件が新聞や国会で取り上げられると、「言い方が乱暴だ」、「日本死ねとはどういうことだ」という反発も見られるようになる。たしかに、ブログ記事は怒りと絶望感にみちている。ヘイトスピーチにも通じる文体であるのはたしかだ。/ とはいえ、3月27日付朝刊コラム「政治断簡」で政治部の高橋純子記者が「おなかの底から発せられた主体的な言葉は、世界を切りひらく力を、もっている」と書くように、ブログの破壊的ともいえる文体は、多くの人に「それはまさに自分の問題だ」と思わせるパワーをもっていた。/ しかしながら、「保育園落ちた」事件で本当に重要なのは、文体の問題ではない。より重要かつ深刻なのは、知や情報の世界における権威の変化であり、それに対する政治やメディアの反応の遅れである。/ この問題については、これまでも多くの報道がなされ、指摘がなされてきた。にもかかわらず、今回のブログ記事ほどの反響を呼んだものはまれである。誰が書いたのかもわからないブログ記事の方が世論に影響を与え、政治やメディアがそれを後追いした今回の出来事は、ネット社会のあり方を考える上で示唆的である。/ 新聞やテレビといったメディアが力をもったのは、「今の世の中で、これが重要だ」という判断基準を示すことにあったとすれば、その力はネットに奪われつつある。今や、新聞もテレビも平気で「ネットで注目の話題」を紹介する時代である。伝統的メディアとしての存在意義が問い直されている。」
�爐海了�件が新聞や国会で取り上げられると、「言い方が乱暴だ」、「日本死ねとはどういうことだ」という反発も見られるようになる。たしかに、ブログ記事は怒りと絶望感にみちている。ヘイトスピーチにも通じる文体であるのはたしかだ。��
というくだりは、たとえば、「一体誰が書いたんだよ、それ!」とヤジを飛ばした張本人である自民党衆院議員・平沢勝栄『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)に生出演して、このブログに対して、「これ、ほんとうに女性の方が書いた文章ですかね?」「(女性が書いたとは思えないほど)日本語としてちょっと汚い」と発言して、�爐修鵑別簑蠅任呂覆き瓩函▲灰瓮鵐董璽拭爾燭舛�ら反発を受けていたことからもよく示している。
わたしは、平沢勝栄の「これ、ほんとうに女性の方が書いた文章ですかね?」という発言に、自民党の�狢垉〇�童問題�瓩紡个垢觜佑┐離譽戰襪蓮∧紳�勝栄の「これ、ほんとうに女性の方が書いた文章ですかね?」という発言がよく示していると考えている。
その考え方とは、女性は自宅で家事や育児をしていたらいい。社会に出て働こうとするから�狢垉〇�童問題が起こるのだ�瓩箸いθ�想なのである。平沢勝栄の「これ、ほんとうに女性の方が書いた文章ですかね?」という発言の背景には、このような�狃�性蔑視�瓩覆里任△襦�
�燹嵎欅蕷猴遒舛拭彁�件で本当に重要なのは、文体の問題ではない。より重要かつ深刻なのは、知や情報の世界における権威の変化であり、それに対する政治やメディアの反応の遅れである。/ この問題については、これまでも多くの報道がなされ、指摘がなされてきた。にもかかわらず、今回のブログ記事ほどの反響を呼んだものはまれである。誰が書いたのかもわからないブログ記事の方が世論に影響を与え、政治やメディアがそれを後追いした今回の出来事は、ネット社会のあり方を考える上で示唆的である。��
ネット社会では、その文体が匿名であろうと、またその文体がどうであろうと、そこにその文体を書いた本人の切実さが込められてあれば、多くの共感を呼び、共鳴を広がっていくのである。そして時には政治さえも動かしていく力を持つ。そこにネット社会の特色があるように思えるのである。
宇野重規さんは次のように書いている。
�狄景垢筌謄譽咾箸い辰織瓮妊�アが力をもったのは、「今の世の中で、これが重要だ」という判断基準を示すことにあったとすれば、その力はネットに奪われつつある。今や、新聞もテレビも平気で「ネットで注目の話題」を紹介する時代である。伝統的メディアとしての存在意義が問い直されている。��
新聞やテレビといったメディアが「ネットで注目の話題」と紹介するところに、新聞やテレビといったメディアが�狹租�的メディアとしての存在意義が問い直されている�瓩弔泙蠅匹海�で自分たちは�狹租�的メディア�瓩箸いΔ箸海蹐妨婪舛鬚�いてはいないのだろうかと、わたしは考えてしまうのである。
古館伊知郎、国谷裕子、岸井成格といった、安倍政権にとって�猝楙磴雖瓩淵縫紂璽好�ャスターはテレビの画面からは消えて行った。メディアが政権から圧力をかけられる今日だからこそ、�狹租�的メディアとしての存在意義が問い直されている�瓩里世塙佑┐襪里任△襦�
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