ウチはこの論を正論だと思うので、
批判する理屈がわからないのだが、
子供を産み、育てる決断をし、責任を背負うのは国か?
ウチはその責任の最たる物は親にかかっていると考えている、
例え話で言うなら、
大きな農家の息子が結婚し、家族計画を夫婦間で話し合ったとしよう、
家も大きく、部屋もそこそこある、
2〜3人の子供を育てるにも十分な環境として、
二子三子ともうけたとしよう、
ところが夫婦の仲は問題なかったが、
両親が離婚し、その結果として今まで住んでいた大きな家には住み続けられなくなった、
そうなると二子三子ともうけた夫婦は困るだろう、
では離婚に至った両親を差して、責任をとれ、親が死ね、と言う論が正しいと思うだろうか、
この例えでは両親なので、夫婦の子供は孫になり、
孫の住環境を激変させる離婚の結果に憤るのは理解できる、
が、責任をとれ、とか、死ね、と言う論に妥当性は感じない、
ウチが考えるに、離婚した両親は子供は育てきっており、
子育てに関する責任は満了したと考える、
責任を終えた両親に孫にまで継続した責任を求め続けるのは、
端的に言えば親の責任の放棄であり、無責任にしか見えない、
国が進めたから産んだ、と言う論がおかしいとしか思えない、
国の勧めで産んだから責任をとれ、と言う論が妥当性を持つなら、
国の勧めに従わず産まなかったのだから、
老後の問題は自分で責任を背負え、と言われたら、
政府は相当な批判にさらされるのは容易に想像できる、
国は人間の集合体なのだから、誰も想像できない解決策などあり得ない、
誰かが、もしくは誰もが考え付く解決策で講じるしかない、
こういった政府批判ありきの論者には、
政府、と言うのは万能の神仏のように考えているのだろうか、
それとも単純にどんな無礼を働いても、
鉄拳の飛ばない仏像のように考えているのだろうか、
親の責任の場所はどこからどこまでか、
日本死ね、と言った人物の境遇は知りようがないのだが、
保育園と言うものは概ね政府からの補助金で賄われている、
従って日本国の納税者は、保育園の利用者からすれば支援者になる、
落選したのは残念だろうし、憤りもあるだろう、
ではその支援者を含む日本、に対して、死ね、と言う論に、
ウチは一片の正当性も妥当性も見いだせない、
この論が正しい、とするなら、
進学したかったが金銭面で進学を断念したなら、
両親を殺害するのに妥当性がある事になる、
日本死ね、の論者は、子供の要求を満たすことができなければ、
子供から死ね、と言われる事を容認する事になる、
はたしてその論者は容認しているのだろうか、
もし、容認しているのだとすれば自己の発言の帰結の責をとったと思う、
もし、それらの想像をしていないのであれば、
ウチが言うのも僭越だが浅薄だと思う、
死ね、と言うのと殺害には隔たりがあるのだが、
支援者に対して死ね、と表するのは、
実質、殺害を容認するものとして、この例えにしましたが、
こういった論者はちょくちょく見かけるんですが、
自分の責任、ってどこからどこまである、と考えているんでしょう、
日本は民主主義ですから、政府の批判は誰を批判するより気軽にできるでしょう、
しかし、その政府を選んだのは有権者であり、
政府の批判をするのは、それを選んだ有権者の批判をするのと同じです、
夫の悪態をつくなら、その男性を選んだのは他にもない妻なわけで、
妻の悪態をつくなら、以下は略しますが、
産み、育てる、の責任の根底は両親にあります、
それがもし違う、と言うなら、出産や育児は誰かに強制された、と言うのでしょうか?
ウチの主観ですが、例えば多額の教育費がかかるのは、
より高い教育を受けて、子供の将来に対する危険を防ぐための、
いわば保険に近い投資であり、
より大きな保障を得るため、高額な投資を求められる、とは当然です、
もし、教育に関わる費用が全て無料であれば、
大学まで行くのが当然になり、就職の門は相対的に狭まります、
それが妥当だとはウチは思えませんし、
その投資は費用に合わないリターンしかなかったとしても、
投資の失敗として多分にある事です、
教育費がかかるのは、より高い保障を求めた投資であり、
それは両親、もしくは本人が負担するのは妥当だと思います、
なぜ、それらが全て政府の批判につながるのか、
政府の批判だけならまだしも、日本死ね、と言う論には、
ウチも微力ながら納税者であり、ひいては支援者の一人です、
その支援者をも含む日本と言う枠に対して、
死ね、と言う論者には嫌悪感しか抱きませんし、
子供にとっては両親は支援者なのですから、
子供から死ね、と言われたら、どう感じるのか、問うてみたいですね。
「保育園落ちた」ブログを批判
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3926983
夏の参院選比例代表に自民党公認として出馬予定の山田宏・元次世代の党幹事長は1日、
「保育園落ちた」と訴えた匿名ブログについて、
「自分の子どもを育てることに対して社会が責任を取れというのは考え方が違っている」
と批判する内容をフェイスブックに投稿した。
山田氏は「子どもを育てるのは第一義的には親の責任だ」との持論を展開。
3月31日の党東京都連の会合でも同趣旨の主張をしたといい、
それについては「女性が働ける環境をつくるためにも保育サービスの充実を図ることが
喫緊の課題であることは大前提として発言した」とした。
政府・与党は匿名ブログをきっかけに、待機児童対策を本格化させた経緯がある。
公明党の井上義久幹事長は1日の記者会見で
「公認ならば政府・与党の方針を踏まえて発言していただきたい」と苦言を呈した。【高橋恵子】
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