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2016年03月25日02:25

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ミク友さんの日記アップ 足尾鉱毒事件はまさに、当時の富国強兵政策、日清・日露戦争とリンク

【文字起こし】2016.3.19ラジオ・フォーラム第167回「小出裕章ジャーナル」【足尾鉱毒事件 田中正造から何を学ぶのか】
まずは足尾鉱毒事件をウィキペディアでサクっとおさらい。
https://ja.wikipedia.org/…/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%A…

足尾鉱毒事件はまさに、当時の富国強兵政策、日清・日露戦争とリンクしていることが良く分かりますね。

ちなみに安倍ぴょんは昨年の戦後70年談話の冒頭で、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」などと、足尾鉱毒事件を歯牙にもかけず自画自賛する有り様。
http://www.kantei.go.jp/…/97_a…/discource/20150814danwa.html)

流石としか言いようがないですね。この弱者に対する視点の欠落というのは。

ラジオ・フォーラム第167回
http://www.rafjp.org/program-archive/167-3/

小出裕章氏講演会情報
http://healing-goods.info/koide/

小出裕章(元京大助教)非公式まとめ
http://hiroakikoide.wordpress.com/

京都大学原子炉実験所 原子力安全研究グループ(小出氏が在職中に所属)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/index.htm

【内容文字起こし】

パーソナリティ:矢野宏(ジャーナリスト/新聞うずみ火代表)

矢野:今回は、「足尾鉱毒事件 田中正造から何を学ぶのか」というテーマでお送りします。もしもし、小出さん?

小出:はい、小出です。こんにちは。

矢野:こんにちは。よろしくお願いいたします。

小出:はい。よろしくお願いします。

矢野:今日は、あの・・・小出さんが尊敬されている、足尾鉱毒事件の指導者でもある、田中正造さんについてお伺いしたいと思っています。伊方原発裁判に長年関わってきた小出さんですが、

小出:はい。

矢野:えー、1978年の、松山地裁での判決の時に、原告側の垂れ幕に、「辛酸入佳境(しんさんまたかきょうにいる)」という、田中正造さんの言葉が掲げられました。

フォト

小出:そうです。

矢野:これはどういう意味合いで掲げられたんですか?

小出:まあ伊方という、愛媛県の・・・まあ小ちゃな町に、原子力発電所が建てられようとしたわけです。で、住民の方は、さまざまな形で、抵抗をしました。え・・・抵抗の過程で、命を自ら断っていくような方も、いらっしゃったわけですけれども、まあその他にも全財産を投げ打って抵抗して、家全体が没落していくという、そんな方もいらっしゃったし、もうとにかく住民の方々は死力を尽くして抵抗をしました。そして、裁判という形でも、私もまあ、原告・・・団の一員として、活動したわけです。そして、世界でも稀に見るほどに、詳細な科学論争というものを、国側と闘いました。

矢野:はい。

小出:そして自分で言うのもおかしいのですけれども、私たちが圧勝しました(笑)。

矢野:うんうん。

小出:はい。国側から出てくる・・・科学者、いわゆる専門家と呼ばれている人たちが、法廷でもう何も答えられなくなって立ち往生する、あるいは証言台に突っ伏してしまうというような、状況がよくありましたし、裁判の過程で色々と調べていってみると、厳重な安全審査と呼ばれていたものも、たった一人だけしか参加しないという、そんな会議が、厳重な安全審査だったということも、分かってきました。ん・・・次々と安全審査の出鱈目ぶりというのが明らかになってきて、こういう状態で一体どうやって国を勝たせることができるのか、これはもう原告の勝利以外にないと私は、経過を見る限りは、思いました。

矢野:はい。

小出:しかし、私自身はこの日本という国が、民主的な国というふうには思っていませんでしたし、裁判というものが行政と独立して存在しているとも、当時から思っていませんでした。ですから、もし国に勝たせるとすれば、一体どんな論理を使えば、国が・・・国勝訴の判決を書けるのかと、思って、その判決の日を迎えました。そしたら、ものの見事にやはり、国勝訴の判決がその日に出たわけです。

矢野:そうでしたね・・・はい。

小出:え・・・原告側の主張など一切汲み取らないで、国側の主張をただただ判決文で羅列をすると、そしてこれが認めるに相当であるという、ただただそれだけ裁判官が書き加えたというような判決だったのです。で、住民の人たちは本当に落胆したと思います。え・・・その裁判の原告団の、まあ住民の代表が、川口寛之(かわぐち・かんし)さんという、元の伊方町の町長でもあった方なのですけれども、その方は、その判決を見て、「こうなれば、もう住民は実力で戦うしかなくなってしまった」と、「裁判所がそれを私たちに強制したんだ」というような、言葉を残しました。長い間闘って闘って闘っても、それでもまだ勝てない、という状況の下で、「辛酸入佳境」という、そういう垂れ幕が出てきたわけです。

矢野:なるほど。はい。この意味というのは、「何事も全てを打ち込んで事に当たれば、苦労もかえって喜びとなる」という、意味だそうですね?

小出:はい。まああの、正造さんがその言葉を、足尾鉱毒事件の戦いの中で書き残したのです。で・・・正造さんも、全身全霊をかけて、足尾鉱毒事件で国と闘ったわけですけれども、まあ当時、日清・日露の戦争というものが行われていて、国はもう、住民のことなど全く考えない。何をやっても勝てないというような中で、正造さんはずーっと闘い続けたわけです。で・・・最後にはもう野垂れ死ぬようにして、死んでいくわけですけれども、それでも彼は、諦めることなく、闘い続けました。どんなに辛いことであっても、闘い続けることで喜びがあるという、たぶんそういう意味だろうと私も思います。

矢野:なるほど。その小出さんが、その田中正造さんを意識した切っ掛けというのは、何だったんですか?

小出:えーと、私が大学生の頃には、いわゆる公害というのが日本中で起きていた頃だったのです。特に水俣病というものが、大きく取り上げられていた時代でした。で・・・当時は四大公害とか言われてたわけですけれども、私もそういう公害というものを勉強していく中で、いや、もっとずーっと昔に、実は、日本で公害というものがあったんだと、それが足尾鉱毒事件だったということに気が付いた、のです。そしてその足尾鉱毒事件を調べていくうちに、田中正造さんという方がいてくれたと、いうことを知りまして、以降正造さんの活動というものに、まあ私は目を奪われて、正造さんに少しでも近付きたいと、思って今日まで生きてきました。

矢野:なるほど。この田中正造さんというのは、衆院議員を6回、されてますよね。

小出:はい。え・・・その中でも、足尾鉱毒事件を取り上げて、国と闘うのですけれども、先ほどもちょっと聞いていただきましたように、日清・日露の戦争であったわけで、とにかく日本は富国強兵だと、軍隊を増強しなければいけないということで、え・・・そのお金を捻出するために、足尾鉱山の銅を海外に売るということで、お金を稼いでいたのです。ですから住民なんかもう、どうなろうと構わないというような、国は態度を示しまして、正造さんは議会の中で散々抵抗するのですけれども、それでも何も良くならないで、結局正造さんは、え・・・「亡国を知らざる者は、これ即ち亡国」という、え・・・有名な演説を議会でして、議会を捨てて、住民の元に駆けつけるということをやりました。

矢野:なるほど。その質問をされた時の、当時の総理大臣というのが山県有朋で、その時の質問の意味が分からないと、答弁を拒否したというふうに伝わってますよね。

小出:そうです。はい。

矢野:うーん、それが本当に、当時の国の態度だったわけですねえ。

小出:まあ、今でも安倍さんなんかはまともな質問もちゃんと聞こうとしないわけですから(笑)、

矢野:そうですね(笑)。

小出:よく似てると思います。

矢野:そうですねえ。あの、足尾銅山では、今もまだ完全に自然が回復したという状況ではないっていうふうに聞いてます。

小出:もちろん全く違います。え・・・亜硫酸ガスが大量に噴き出してきて、周辺の山々も禿山になってしまいました。もう何十年も経っているわけですけれども、まだまだその禿山が回復できないまま、今でも残っていますし、銅山から出てきた鉱滓(こうさい)という、鉱毒を含んだ毒物が、まだ野晒しになっていまして、ちょうど2011年3月11日の大地震の時に、その鉱滓置き場が崩れ落ちて、渡良瀬川という川に、また流れ込んでしまうというようなことも起こりました。まだまだこれから何十年も、そういう状態が続かざるを得ないと思います。

矢野:なるほど。しかし考えてみればこの、銅による鉱毒よりも、もっと猛毒な放射性物質を、広範囲に撒き散らしたこの福島第一原発の被害というのは、はっきり言ってそれよりも大きい被害で、甚大ですねえ。

小出:はい。まあ残念ながら多分そうだと、思いますし、足尾鉱毒事件の時もそうですけれども、まあ国を支配していた人たちは、住民にどんな危害を加えても誰一人として責任を取りませんでしたし、今日も福島の事故を起こしても、誰一人として加害者が責任を取らないということが、今目の前で進行しているわけです。

矢野:そうですねえ。あの、2年前になりますが、小出さんが雑誌の「世界」の中で、論文を書かれました。この田中正造さんの没後100年ということでしたね。

小出:そうでした。

矢野:その最後に、「私もまた私だけの命を、何者にも屈せずに、私らしく使いたい」という言葉で結ばれていますが、

小出:(笑)・・・はい。

矢野:この最後の一節に込めた、小出さんの思いを最後に、聞かせていただけませんか?

小出:はい。まあ、正造さんという、言ってみれば名家の生まれの方で、単にそのまま生きているならば、きっとまあ大きな財産も築いて、大きな名誉を持ったまま亡くなるということになったのだと思いますが、正造さんは決してそんなことはしませんでした。とにかく人々に寄り添うという一生を貫いて、まあ野垂れ死ぬように亡くなったわけです。でも私から見ると本当に輝いて正造さんは生きたと、思いますし、まあ私が正造さんに近付けるなんていうこともほとんど無いわけですけれども、でも私も、私にできることを、何者も恐れずにやり遂げることができればなと、まあそんなふうに思って、少し面映いですけれども、あんな文章を書きました。

矢野:そうですか。弱い民衆の側に立って、強大な国家権力と、真っ向から闘い続けた田中正造さんの姿が、私は小出さんとダブって見えます。

小出:とんでもありません(笑)。足元にも及ばない、素敵な方です彼は。

矢野:どうもありがとうございました。

小出:はい。ありがとうございました。

【文字起こし終了】
■福島第一原発、建屋内で汚染水漏れ 推定5.3トン
(朝日新聞デジタル - 03月24日 02:07)
http://news.mixi.jp/view_news.pl

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