つぶやきなどで何度か書いていますが、
今更ですが退院しました、
と言っても先週の月曜が退院でしたから、
10日近く経っていますが、
内視鏡下胆のう摘出術は無事終わり、
術後の経過も良好だったので、
ちょうど一週間の入院期間でしたが、
いろいろ?ありましたが、まずは無事に退院できましたので、
お見舞いメッセージをお送り頂いた方、
お気遣いありがとうございました、
これから備忘録として、入院期間の事を日記として書いてみようと思います、
2日水曜日、入院の用意をバッグとリュックサックに詰め込んで病院に訪れると、
その手荷物の多さからか、「入院される方ですか?」と問われ、
手続きが始まりました、4階の病室まで案内していただき、
荷物を一通り収めた後は、取りとめてやることもないので暇を持て余していると、
手術の説明のため、相談室に向かいました、
執刀予定の先生がインフルエンザで休んでいるそうで、
説明そのものは代理の先生がされたのですが、
インフルエンザが回復しなければ説明をされた医師が執刀する事になるそうで、
回復されれば予定通り主治医の先生の執刀になるとの事でした、
その後、採血があり、その夕方には採血の結果から、
手術には何も問題なく行うことができる、と最終判断がされました、
そして翌日、3日手術当日ですが、
午前中でしたので、ややあわただしかったです、
麻酔をかけるので同じ姿勢が続き、
いわゆるエコノミー症候群のような症状にならぬよう、
足に弾性ストッキングをつけました、男性がつけるから男性ストッキングではなく、
足に圧力をかけるのが目的の弾性ストッキングでした、
小さくゴムが強力なので履きにくいのですが、何とかなりました、
主治医の先生はインフルエンザから回復されたそうで、
当初の予定通りの手術になりました、
点滴の導入がされ、その点滴は術後もしばらくは継続する旨が伝えられ、
ストレッチャーや車いすではなく、徒歩で2階の中央手術室まで行きました、
思った以上に狭く感じる手術台に横になり、
内視鏡の術式ですので、穴をあける場所について説明がありました、
あとへそのゴマをとるのが痛くすぐったかったです、
それから静脈注射による麻酔がされたようで、
突如として意識は途切れました、
術後の最初の記憶は、「点滴が漏れている」「場所を変えます」と言う会話、
注射を打たれた感覚はあるものの、痛みはなく、
ああ、これが麻酔、と言うやつなんだな、と、
歯医者の麻酔は知っていますが、局所麻酔で、
全身麻酔は今回が初めてでした、
「●●さん、無事終わりましたよ」と言う説明があり、
ひと先ずは安心しました、
予定通りとは言え、右の鼻の穴に酸素吸入がされており、
尿道にはカテーテルも入っていました、
内視鏡とは言え、腹部に穴が空いているので、
起き上がる事は出来ず、酸素吸入されているので、
息苦しい感覚はないものの、
挿管?されている鼻の違和感はなかなかのものでした、
呼吸は出来るので、鼻の管を外せないだろうか、と打診したところ、
麻酔の影響があるので自発呼吸に確証がなく、
挿入されている管は外せるが、マスクは外せないとの事、
鼻に入っていたチューブを抜いて、両の鼻で呼吸する空気は、
気持ちいい空気に感じました、
その後、近くの友人が見舞いに来てくれました、
意識ははっきりしているのですが、
何分、尿道のカテーテルが入っているので、
歩きまわるわけにはいかず、
こちらはベッドで、友人はパイプ椅子に座って、
しばし談笑し、友人は帰ったのですが、
その後、寝ていた間にもう一人友人が来てくれていたのですが、
気付かず、悪いことをしました、
その日、もう一人の友人が来た事は、
携帯のメールで確認したので、1日後になってしまいました、
手術の翌日、4日、
腹部の傷跡のため、起き上がるのは困難ですが、
何とか上半身を起こすことが出来るようになり、
尿道のカテーテルはいつ取れますか、と打診すると、
回復を見て、よければ今日取れます、との事、
このカテーテルが問題で、
ウチの聞いた話だと、自身の意思に関わらず、
尿が出てくる、と言う物だったが、
なぜかウチのカテーテルは、勝手に排尿が出来ず、
意識して排尿せねば出てこない状態でした、
この状況から考えられるのは、
おそらくは排尿を制限する筋肉があり、
その筋肉の部分を通過して膀胱にカテーテルが達していれば、
この状況にはならない、
つまりはカテーテルが目的とする深さまで入っていない、と言う事になる、
その現状を伝えたならば、どうなるだろう、
カテーテルを再度差し込まれるのは避けたい、
そのため、カテーテルの状況に関してはあえて口を閉じる事にしました、
4日の夕方近くに尿道カテーテルが抜き取られ、
抜かれた直後に強烈な尿意が催したが、
何とかトイレまで行くと、ほとんど出てこない、
これはどういう事だろうか、と類推すると、
おそらくはカテーテルが挿入されている間、
意識的に排尿するようにし続けた結果、
常に排尿を止める筋肉が緩んだ状態が続き、
カテーテルを抜いた直後は緩んだままだったので、
それが尿意に繋がったのではないかと考えてみました、
38.6度ほどの熱が出ましたが、解熱剤を点滴に入れて、
数時間程すると37度台にまで下がったので、大事なく過ぎました、
4日には3分粥が昼から出るようになり、
薄味の食事が多いので、ごはんですよ、を持っていったのですが、
その有用性がお粥食には如何なく発揮されました、
ごはんですよ、がなければお粥食べきれないです、
あれのおかげで完食出来たようなものです、
酸素吸入が外れ、導尿カテーテルが外れたので、
あとは腕に繋がる点滴のみ、
点滴のホルダーを携えてトイレなどにも行けるようになったので、
ベッドに固定されていた状況から鑑みれば、
ほぼ自由と言っていい状況で、
一階のコンビニまで行って、コーヒーを飲んできました、
コーヒーは飲んでよかったのだろうか、と考えもしましたが、
ま、お粥がいいんですから、大丈夫だろう、と、
そこら辺は自己採点で飲みましたが、
まぁ問題も出なかったので、結果オーライでしょう、
5日、土曜日と言う実感はなく、
曜日の観念の希薄な入院生活4日目です、
この日は採血があり、点滴が外れた日です、
点滴も採血も同じように注射が刺さっているのですから、
点滴の場所から採血して、と言いたいところなのですが、
点滴は体に入れる方、採血は体から出す方なので、
結局別にせねばなりません、
何はさておき、点滴が外れた事で、
とうとうワイヤレス?コードレスになりました、
例によって食事はお粥なのですが、
ごはんですよ、の恩恵もあり、完食し、
一階のコンビニでフィッシュバーガーを食べたのは、
今となってはいい思い出です、
5日土曜日からリハビリを兼ねて、4階から1階まで階段で上り下りするようにしました、
ま、その経路でコンビニに寄るので、純粋にリハビリとは言い難いものでしたが、
歩き回れるってのはいいものだ、と実感しました、
何年も前に短期間の入院経験はありましたが、
今まで、入院した親類縁者、友人などの言で聞いてはいたものの、
自身の体験による言葉として、普通の健康がなせる自由と言う、
いわば当たり前に近い能力、それは何時如何なる状態でも備わってはおらず、
健康に支えられた自由なのだと、自身の言葉として話せるようになりました、
この日、特に問題がなければ月曜日に退院になります、と伝えられました、
それはさておき、お粥の食事が困ってきました、
未公認ですがフィッシュバーガーが食べられる程度ですので、
お粥でなくとも、食事は出来る、と食事の変更を打診したのですが、
主治医の先生は帰ってしまいました、
今夜は当直の先生は脳外科なので、外科の先生が居られません、
食事を変更していいのか、判断できる先生が居ないのです、と言われました、
しまった、と曜日の観念が希薄になっていた弊害が、
こんなところに出てくるのは、盲点でした、
この日からシャワーによる入浴の許可が出たので、
風呂に入りました、お腹には4か所手術痕があるので、
体はタオルで洗い、腹部は洗顔用のやわらかスポンジで洗いました、
チューブが外れ、シャワーでも入浴までできると、
入院中とは言え、日常生活の一歩手前です、
6日、日曜です、
食事の変更を打診し、判断できる先生が居ないとの事でしたが、
判断をしていただける先生が居られたようで、
日曜の昼から通常食になりました、
これはだいぶ助かりました、通常のごはんだと、
ごはんですよ、がなくても食べられるので、尽きかけているごはんですよ、は
寸でのところで、お役目満了となりました、
7日、月曜日、退院の予定日ですが、
朝一番に採血があり、その結果を見て判断しましょう、との事、
特にすることもないので、コンビニまで行って、コーヒーを飲んで戻ると、
採血の結果は問題なかったので、退院できますが、いつしますか?と、
既に荷物もまとめ、退院の準備も終えていたので、
では昼前に退院、と言うことで手続きを進めてもらいました、
入院期間かかった総費用が提示され、
先生と看護師さん、に挨拶を済ませ、
医療費を支払い、病院前のタクシーに乗り、
直接帰宅しました、
かかった総費用は、明確な数字は控えますが、
東京マルイのH&K417をフルセットが買えますが、2セットは無理と言ったところでしょうか、
噂によく聞くアメリカの医療費の事を考えれば、その程度の金額、
手術前の検査の段階でかかってしまうでしょう、
ウチは少なくとも日本の医療制度の福音を得たのですから、
仮にそれに外れることがあったとしても、
自身の不遇を述べるのはともかく、
制度や社会に不満を言うのはお門違いだな、と考えました、
ちょうどその頃、保育園に落ちた、日本死ね、と言う記事を見るようになり、
つぶやきなどで苦言を呈したのですが、
人を呪わば穴二つと言う言葉がありますが、
病によって命が当り前のように失われていった時代、
病を呪って助かるために医学が出来、発展しましたが、
それにも穴が二つあるように思います、
それは治せない病と、治せなくなった病です、
ウチは日々チューブが外れていき、歩き回れるように回復しましたが、
それは治せる病だったから、
そして治せる状態で病院に来たから、であって、
全ての患者にその回復を実感させる事はできません、
いつまでも外せないチューブや点滴、隣で外れていく患者がいれば、
呪いの一つも掛けたくなるでしょう、それが人の業でしょう、
ウチが一足とびに回復できたのも、
数多の患者がいて、対処法のない病、
進行しすぎて医が届かなくなった者、
それこそ賽の河原の石のごとく、
堆く積み上げられた体験や思考、
アイデアなどが積み上げられたからこそ、
この速さでの退院となったのでしょう、
執刀された先生、お世話になった看護師の方々、
ウチが知りえない検査などの方、
それらの方々に深く感謝を奉げると共に、
医療の福音に外れた方、
多くの苦痛に遭わざるをえなかった方々、
直接にせよ間接的にせよ、
数多の苦痛や悲劇の裏返しで、
今回、ウチは楽をさせていただきました、
命と幸運を分けていただき感謝します、
ありがとうございました。
さて、明日は何食べようか。
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