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2016年01月29日22:04

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知識と打算

「机上の論理」とは頭しか使わない人の観念から生まれるものである。
つまりインプットとアウトプットの場所が同じということを意味する。
机の上で本から知識を得て、
それを基にして作品を生むと「机上の論理」になってしまうだろう。
インプットの場所が重要なのである。
机の上で知識を得ることも勿論重要ではあるが
経験から得る知識もまた重要で、
インプットの場所が多ければ多いほど幅広い知識が備わるのである。

そして自分の目で見た事実の本質を見極める必要がある。
現象を記憶するだけでは
その事実が何を意味するのか、までは理解できないだろう。
現象が起きた原因について深く追求しなければならないのだ。
そうすることによってインプットの質は高まり
より高度の知識を得ることができるはずだ。

だが仕事をする上ではインプットが多ければ
アウトプットが多くなるとは限らない。
日本で転職はマイナスの評価を受ける。
転職経験があればインプットも多いはずである。
だがそれが仕事上のアウトプットに結び付かないのだ。
仮にもし「以前勤めていた会社ではこうでした」などと
新しいアイディアを提案したら村八分にされるだろう。
インプットはかえって邪魔になる。
生涯一つの職業に就くことが理想とされ
その場合インプットは少ないが仕事上のアウトプットは多いのである。
たくさんのインプットがあり
たくさんのアウトプットを出そうと思ったら
起業するしかないのが日本の社会といえる。
日本の企業は上司よりも多くインプットを持つ社員など要求しない。
上司の指示通りに動く駒ならばインプットが少なくても何の問題もないのだ。
下手に上司よりも多くのインプットがあったら扱い難いだけだ。

インプットには目的は要らない。
とりあえず何でも興味を持ち、幅広い知識を吸収すれば
将来何かのアウトプットに結び付くだろう。
けれどもそれを仕事に応用しようとしても無理だ。
何故ならば仕事とは金儲けである。
打算でインプットを増やしても役に立たなければ忘れてしまうだろう。
本物の知識とは金に換算できるものではなくて
人生を楽しく生きるためのものであるはずだ。

人間の脳は常に楽しいことを求めるようにできている。
インプットとは脳を楽しませることが目的だ。
打算のための知識を得ても人生は楽しくならないのである。





■「ピアノを習うと頭が良くなる」って本当?
(いこーよ - 01月29日 15:50)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=239&from=diary&id=3827235
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