読まなくていい
激震とはそのものだけではない。余波も含めてのことである。
昨日、余波を告げられた。
平和でありつつも、周りで激震続きだったが、こういうとき
「周りは周り」
で済むことはない。そして、余波はまたしても俺の下に。
怒りの一日を過ごしたが、怒っても訪れた余波が来なかったことにはならない。
どう考えたってなかったことにならない。
「考えよう(では)」とは無責任な言葉で好きではないが、
「考える」とまでいけばいい。
本当の余波は見えないところで動いでいる。
トランキーロ。
この言葉を知って良かったころが続く。あせんなよ!
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