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2016年01月17日23:36

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「ひつじ村の兄弟」 「フランス組曲」 「ヴィオレット−ある作家の肖像−」

8日は「STAR WARS フォースの覚醒」(4DX)

9日は「ひつじ村の兄弟」
    「フランス組曲」、

11日は「ヴィオレット−ある作家の肖像−」、

12日は「クリムゾン・ピーク」
     「ブリッジ・オブ・スパイ」、

14日は 「モーターズ」を観に行きました。





「STAR WARS フォースの覚醒」

先に書きましたが、4DX(3D) で観たお蔭で映画としてちゃんと観られていません。
もう一度観てから書きたいと思いますが、
思惟太は78年に「エピソード4」を劇場で観た以外
(どこかで書いたと思うけれど、2回観て2回とも寝た!(笑))
シリーズをちゃんと観たことがありません。
TVで何回も放送されたから何となくお話を知ってはいるけれど
「4」の印象が全然よろしくなかったのできちんと見ようと思ったことがないのです。
でも今回は「4」「5」「6」の後のお話だから
新たな気分で観られるかも…?





「ひつじ村の兄弟」 ’15 (アイスランド・デンマーク)

監督・脚本:グリームル・ハゥコーナルソン
m:シグルヅル・シグルヨンソン,テオドル・ユーリウンソン

’15 カンヌ国際映画祭 ある視点部門 グランプリ

アイスランド映画。アイスランド映画と言えば
14年の年末に観た「馬々と人間たち」が記憶に新しいが、
同じ火山と丘陵の大地に登場するのは今回ひつじ。
隣り合う牧場に住み 同じように純血種の羊を飼う老境の兄弟は
40年間口をきいたことがないほど不仲。
ところが兄キディーのひつじが疫病で死亡、
保健所は村のひつじ全頭殺処分を実行するが 弟グミーは密かに…というお話。
なんかね…登場するアイスランディックなるひつじが異常にカワイイ!(笑)
フワフワの体に細いあんよでトコトコ走る姿に萌えてしまう!(笑)
それはともかく…不思議な映画。
兄弟の確執のお話であり、家畜殺処分の悲劇とそれによる離農のお話であり、
純血種の育成と保存のお話であり、そこに誇りと矜持を持つ農民のお話であり、
それらがすべてが導き出すのが
じいさん二人が全裸で抱き合う極寒の地のサバイバルと兄弟愛なのだから
突然の幕切れに開いた口がふさがらないのだった…。
アイスランドの絶景の中にひつじと人間が小さく画になって
単純で愛しい農家の営みが恬淡と綴られるのだが、
あくまでユーモラスな語りの向こうに
人が家畜を飼い世話をし共に生きるということ―に宿る
“命と生”の真実が覗いていて、
放射能による避難や口蹄疫による殺処分で
手塩にかけた動物たちを見放さねばならなかった農家の人々には
涙なくしては観られないだろうと思う。
そうして迎えるラストに
“ええっ!ここで終わりですか!ひつじたちは?犬は?”
と心の中で叫んでしまうのは思惟太一人ではないはず。
それくらいこのラストは効果的。
R15+なのはおじいさんの全裸が出て来るせい?(笑)
とまれ、佳作なり。





「フランス組曲」 ’14 (英・仏・ベルギー)

監督:ソウル・ディブ 原作:イレーヌ・ネミロフスキー
m:マティアス・スーナールツ
f :ミシェル・ウィリアムズ,クリスティン・スコット・トーマス

アウシュヴィッツで死んだロシア系ユダヤ人作家イレーヌ・ネミロフスキーの
死後60年を経て出版されベストセラーとなった
同名小説の映画化作品。
1940年ドイツ軍の進駐を許したフランス。
パリから大挙して押し寄せる難民と進駐してきた独軍兵士でごった返す
不穏な田舎の村で、若い人妻とドイツ軍中尉が出逢い…というお話。
正直、メロドラマとして優れているわけではないし
ヴェルコール原作メルヴィルの「海の沈黙」の純度には遠く及ばない。
ただ、地主が小作人から賃料を取り立てる―とか
町民がパリからの難民に部屋を貸す―とか
進駐に際し 武器弾薬の供出が行われる―
当然従わぬ者たちがいる―とか
ドイツ人将校の宿泊先が裕福な屋敷に割り振られる―とか
接収した屋敷でどんちゃん騒ぎをするドイツ兵―とか
村の未亡人がドイツ兵と関係する―とか
ドイツ兵に対する憤懣や怒りで落ち着かない村の空気―とか
ドイツ軍発行の通行許可証―とか…
“当時”の庶民の日常がいかなるものだったのか?
その片鱗は摑まえられているように思う。
たぶん原作もそこが評価されているのではないか…?
いっそその戦時下の日常をメインに物語を織るなら
フランス人がフランス語で撮れたんじゃないか…と思わないでもない。
メロドラマとして英語で撮ってしまうと映画に重みがないように思う。
「コーヒーをめぐる冒険」のトム・シリング、
このところ続けて悪い(・・)ナチ将校の役してるなー…(笑)。
エンドロールの自筆原稿には胸を衝かれる。
このノートの入ったトランクを娘に託して
イレーヌ・ネミロフスキーは連れて行かれたのだ…と思うと…。




「ヴィオレット−ある作家の肖像−」 ’13 (仏)

監督・脚本:マルタン・プロヴォ 撮影:イヴ・カープ
衣装:マドリーヌ・フォンテーヌ
m:オリヴィエ・グルメ,ジャック・ボナフェ,オリヴィエ・ピィ
f :エマニュエル・ドゥヴォス,サンドリーヌ・キベルラン

「私生児」のヴィオレット・ルデュックの半生を描く伝記映画。
見栄えが悪く性格も悪く貧乏でバイセクシュアルの女…という
何とも強烈な個性のヴィオレットがボーヴォワールと出会い
彼女の叱咤激励に時に舞い上がり時に混乱し時に恨みながら
作品をものする姿が描かれる。
父の認知を得られず母からは疎まれて成長したヴィオレットは
愛されることで自信を確かめたいために愛されることを希求し
女や男と関係するが、誰からも受け止めて貰えない。
そんなヴィオレットが「第二の性」執筆中のボーヴォワールに評価され
小説出版の運びとなるが 売れず、
ボーヴォワールに対する慕情,恋情は退けられ、ひたすら書くことを強要され
ボロボロくたくたになりながら
遂に「私生児」で世間の評価を受け
醜く性悪で一緒に居ると迷惑な厄介な女―は世界に居場所を得る
…その経緯が実に気持ち悪く(爽快でないという意味)描かれていて、
ボーヴォワールとの関係性が非常に興味深い。
登場するジャン・ジュネは
「サルトルはオレに夢中。
ボーヴォワール、あのインテリ女はあんたを見つけたのさ。」
と言うのだが、その通りジュネにもヴィオレットにも
サルトルの知性やボーヴォワールの洗練が決して届けない
むき出しの人間性があって、
その強烈な魅力と手に負えない困った個性を
マルタン・プロヴォは丁寧にエピソードを繫ぐことで描き出す。
今ならアスペルガーじゃないの…?と思われる性向のヴィオレットを
エマニュエル・ドゥヴォスが好演。
サンドリーヌ・キルベランのボーヴォワールの衣装と着こなしの洗練と
ヴィオレットの野暮ったさの対照が面白い。
ラスト 成功してフォコンでのびのびと呼吸するヴィオレットに
書くことによって自身を解放した(天才の)女の輝きを見るのは
あながち間違いではないような気がする。
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