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2016年01月09日06:27

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生命の重さについて考える



          生命について考える
此処十年以上考え続けている、だが答えは出ない。
解っている事は、人間は身勝手だと言う事。
知らず知らず生命の重さを区別をしている。
ペットの生命について侃々諤々と言うが家畜の生命については語らない。
食べるものは殺して良いのか?しかも美味しければ尚更。
全ての生き物は、その生命を全うしたいはずなのだが、人間の身勝手さから家畜と分類されて食料にされる。
誰も気にも留めない。
雑食の人間の身勝手、生命維持だけなら多種多様の生命を奪う必要は無い。
そして殺さないまでも動物園として見世物にしている、これは虐待そのもの。
では植物なら良いのか?植物も子孫を残そうと生きている。
環境に対応しながら必死だ。
食虫植物など典型的だ、地中に栄養が無いから虫を栄養源にしている。
本能と言うか?生体反応と言うか驚くべきものがある。
身近にある雑草でも生きる為に必死で光合成で酸素を作り出して人間にも恩恵を与えてくれる。
魚とて同じ事生きる為に必死だ。
生命あるものは全て人間の為に生きている訳じゃ無い。
知能指数が高いから殺してはならないと言う人達がいる。
生命とは、そう言う問題か?
自然界の摂理は弱肉強食だが、人間以外は必要最小限な殺生しかしない。
自然界では共食いはなかなか起きない、同種のものを食べる事は少ない。
と言う事は自己認識、仲間意識が出来ていると言う事。
そこには生命の重さがあると言う事。
で、人間の生命の重さは?
戦争や犯罪でガクンと生命の重さが軽くなる。
憎悪によっても軽くなる。
人間が必要にかられてあみだした発明の宗教でも生命の重さが変わる。
神の名のもとに殺人をするなど、それこそ神を冒涜しているのでは?
どの宗教も、ご都合主義の神を崇めている。
本当に神が存在するなら素晴らしい地球を破壊し続けて他の生命を脅かしている人間を抹殺したいと考えるのでは?
生命の重さは一人一人の心のあり方によって変わる。
憎悪の深さで一段と軽くなる。

世界を見ると死刑を廃止している国も多い。
日本でも反対している人も多い。
だが、死刑って本当に残酷なのだろうか?
死刑が決まって刑務所に入り死ぬまでカゴの中で生きて行く事の方が残酷では無いのか?
人間らしく生きる事が出来ない状態で幾ら反省しても本人はある時から無意味だと思うのでは?
無論冤罪は、もってのほかだが。
恩赦、恩赦で釈放される日が来る可能性があれば希望もあるのだろうが希望も何も無い状態で死ぬまで生かされている事の方が残酷なのでは?

いずれにせよ人間は身勝手な生き物と言う事は変わりようが無い様だ。

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