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2016年01月07日22:07

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「超論暴論」外論〜期待されたものの、芽が出なかったかつての大型左腕は、まだこれからという若さで…

 その訃報を知った時、多くの阪神タイガースのファンは耳を疑った事であろう。まだ齢41、これからという若さで来世からのお迎えが来たのであるから、それも無理はない。安達智次郎氏、20数年前に地元の兵庫・村野工業高校から新人選択会議=ドラフト会議でタイガースに1位指名されてプロに入った彼は背番号12を与えられたものの、7年間のプロ生活で一軍に昇格する事ができなかった。その後はタイガースで打撃投手を務めた後、神戸市でバーを経営していたが、このところは体調を崩している状態であったという。
 村野工高では2年時の夏の全国高校野球選手権と3年時の春の選抜高校野球の2度、阪神甲子園球場の土を踏み、その当時のチームメイトには埼玉西武ライオンズの黒田哲史(新山千春のかつてのダンナでもある)二軍守備走塁コーチがいるが、前述のドラフトでは読売ジャイアンツやニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏をタイガースが1位指名しながら外し、その代わりとしての指名であった。しかし、伸びのあるストレートと勝負強さは当時の監督であった中村勝広氏も大いに期待していたし、新人の年にウエスタン・リーグで初めての先発マウンドで6連続三振を奪うなど好成績を残し、ここまでは順調にいく。しかし、故障とフォーム改造の失敗などで結局は伸び悩み、前述のように一軍を経験しないまま現役生活を終えたのは安達氏にとっては不本意であったに違いない。
 安達氏は1994年と1996年にデトロイト・タイガース傘下のマイナーリーグで修業した経験もある。最初の時はタイガースからオリックスバファローズ、そして韓国KBOのSKワイバーンズと渡り歩き、現在は塀の中にいる塩谷和彦(結果的に彼は、日本と韓国、そして米国の3ヵ国でのプレーを経験している。その時はまさか自分が今、監獄の中にいようとは思わなかったであろう)、そして2度目は現在九州地区で新人の発掘を行なっている田中秀太スカウトと一緒であったが、とくに最初の時のチームメイトにはデトロイト・タイガースやロサンゼルス・ドジャーズ、フロリダ・マーリンズなどでプレーし、MLB通算で156本塁打を放ったフアン・デ・ディオス・エンカーナシオン氏もいたのであるから、ある意味で貴重な体験であろう。晩年はリトルリーグの指導もしていたという安達氏は、その時の経験も子供たちに話していたのではないか?もしもそれを聞いていた選手がいれば、それは大きな財産である。
 40代での夭折は残念であるが、その分冥土のプロ野球リーグでは生前にできなかった活躍をしてほしいと願う。謹んで安達氏のご冥福をお祈りしたい。

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