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2016年01月06日14:33

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須藤訓任先生のことども

このミクシィに「須藤訓任」というコミュニティがあるということに驚いた。なぜなら、須藤訓任先生とは、須藤先生が大谷大学文学部哲学科西洋哲学分野専任講師になられた頃からの知り合いであり、未だに親しく年賀状のやり取りをさせていただいている哲学の先生だからである。

須藤訓任先生は、京都大学文学部哲学科哲学分野を卒業させ、辻村公一先生のお弟子にあたる。そして須藤先生の語学力は京都大学でも有名で、大学院博士後期課程在学中にすでに大谷大学で非常勤講師としてドイツ語を教えておられた。その後、暁烏哲夫先生が助教授のまま定年退職を迎えられるに代わって、大谷大学文学部哲学科専任講師になられた。わたしが須藤先生と親しくさせていただいたのはその頃からである。

須藤訓任先生を大谷大学に引っ張られたのは、訓覇曄雄先生であった。訓覇先生には京都大学文学部哲学科には強い人脈があられたようで、池上哲司先生も倫理学専攻であったが大谷大学に引っ張って来られたという。須藤先生にせよ、池上先生にせよ、京都大学文学部哲学科を背負って立つことを切望させていた人材であった。その先生方を大谷大学に引っ張ってくるという訓覇先生の�狎�治力�瓩�いかにあったのかということを見せつけられた思いがしたものである。

わたしが須藤先生のことで最も強く印象に残っていることは、須藤先生が学生時代、いかにドイツ語の勉強に強く取り組まれていたのかということだ。須藤先生はドイツ語を見ると、吐き気を催すようになるまでドイツ語の勉強に取り組まれたと話していただことだ。その成果からなのか、学部の四回生の頃には、ニィチェ全集の全巻を�爛疋ぅ銚讚瓩覇蒜砲気譴襪世韻領呂鮨箸砲弔韻蕕譴討い燭海函△修靴涜膤惘,望紊�ると、ニィチェの遺稿等を読まれていたという話である。その話を聞いて、須藤先生が大学院博士後期課程を満期退学してすぐに大谷大学文学部哲学科の専任講師になれたということが分かったように気がした。京都大学文学部哲学科がいかに語学力を重視していたのかを物語っているように思われた。そしてその伝統が大谷大学の哲学科にも流れていたように思えたのである。一流の学者になるためには、学生時代にそれなりに努力をしておかねばならないということが分かった気がしたのである。

それともう一つ。わたしが大谷大学哲学会の研究発表を行うときのことである。あの時、須藤先生が司会を務めることになった。時は日本シリーズで、巨人対近鉄というカードであった。わたしは巨人の応援をし、須藤先生は近鉄の応援をされていた。そして二人は控室で須藤先生が持ちこまれたラジオを夢中になって聞いていた。普通は研究発表の前は発表者としか行社との間で入念な打ち合わせをしなければならないのだが、あの時、須藤先生もわたしも研究発表どころではなかった。研究発表より日本シリーズであった。そしてラジオに夢中になっているところを訓覇先生に見つかって、「きみたちは一体何をしているんだ!」と怒鳴られたことを覚えている。

その後、わたしは大谷大学を離れ、民間企業に就職したが、大谷大学哲学会にはしばらくの間、顔を出していた。その時も須藤先生は暖かくわたしを迎えてくれた。そして須藤先生が大谷大学を離れ、大阪大学大学院文学研究科の教授になれたということを知った。それ以来、須藤先生とは年賀状のやり取りだけになってしまった。しかし未だにあの優しそうな須藤先生のお顔を思い出すのである。須藤先生の『ニィチェの歴史思想-物語・発生史・系譜学』(大阪大学出版会)も一読させてもらおうと思っている。
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