mixiユーザー(id:26450852)

2015年12月27日13:09

1700 view

恩師・原野栄二先生の名前を、YAHOOで検索してみると・・・・・・・・・・・

昨夜、恩師・原野栄二先生の名前を、YAHOOで検索してみると、田中克己という詩人の詩作日記「夜光雲」昭和八年の記述に次のように、原野先生の名前が書かれているのを見つける。

「三月三十日
蒼蝿(うるさ)きこと夛ければ東上望ましき
瑞香花(ぢんちょうげ)咲くや此の家(や)に蚊も生(あ)れぬ
放蕩(のらくら)の身に苦くて喫す烏龍茶
よもすがら沸りゐる湯にゆめ見ゐぬ
 仙蔵院主より来信あり。もつと深刻な顔をするまで云々の語ありき。
われはあまりに暢かすぎたる面わをもてるらしき。
三月十八日には中島と伊東静雄氏を訪れたり。原野栄二氏も来会しゐられぬ。
 出たらめな言葉をつヾる。例へば始めの一語が出たらめであり、
その次に来る語の如きは紙に表はれてはじめて驚くべき底のものである。」

この田中克己なる人物はどのような人なのだろうか、インターネットで調べてみると、

「1911年(明治44年)8月31日 - 1992年(平成4年)1月15日)。日本の詩人、東洋史学者。大阪府出身。1934年東京帝国大学東洋史学科卒。1932年保田與重郎、肥下恆夫、中島栄次郎、松下武雄、小高根太郎、杉浦正一郎、服部正己ら大阪高等学校 (旧制)同窓生と文芸同人誌『コギト』を創刊。1936年堀辰雄の推挙により詩誌『四季』(第2次)同人となり、津村信夫、神保光太郎と共に編集にも携わった。1941年詩文集『楊貴妃とクレオパトラ』で第5回北村透谷記念文学賞受賞。
昭和十年代の詩壇において主に『コギト』『四季』『文藝文化』など抒情詩精神を標榜する同人誌を中心に活躍した。初期にモダニズムの影響を蒙るも、所謂『日本浪曼派』の文化圏にあって(彼自身は同人ではない)、同じく硬質の抒情を能くした伊東静雄のライバルと目された。
1942年1月文士徴用軍属の第二陣として北川冬彦、中島健蔵、神保光太郎らと共に南方戦線後方(シンガポール・スマトラ)へ派遣される。年末帰国。1945年3月応召入隊、二等兵として河北省にあり。敗戦とともに現地除隊。北京、天津へ逃れ1946年2月帰還。
戦後は天理図書館、滋賀県立短期大学、帝塚山学院短期大学(同僚に杉山平一、小野十三郎あり)、東洋大学を経て、1959年より成城大学教授。この間、天野忠、井上多喜三郎、小高根二郎ら関西の詩人達と詩誌『コルボウ』『詩人学校』『骨』『果樹園』を創刊して交わる。敗戦により皇国史観を捨て1962年キリスト教(カトリック)に改宗。晩年、『四季』を再刊主宰した(第5次)。1982年定年退任、名誉教授。
博識な語学と癇癪が持ち前であり、詩人とは別に東洋史学者としての顔をもつ。中国漢詩に造詣が深く、李白をはじめとする多くの訳書・評伝があるほか、余技のドイツ語においてもハイネの訳詩集が版を重ねた。」

と、ある。

原野栄二先生は1999年7月に亡くなれたので、それよりも先に亡くなれていたことになる。

この田中克己という人物が東洋史学者にして詩人となれば、原野栄二先生の守備範囲内に入る人物である。

ここにある�狠翕膈瓩箸蓮�中島栄次郎さんのことであろうか。

中島栄次郎さんには、西哲叢書の一冊として「ニィチェ」を書いてもらうことにして、中島栄次郎さんが出征する前に会った時に、『ニィチェ』の原稿は出来上がっていると、中島栄次郎さん本人から聞かれていたので、きっと出来上がっているのだろうと思っておられた。ところが中島栄次郎さんは戦死をしてしまい、1993年、京都大学名誉教授が中心となり、『中島栄次郎著作選』を発刊されたとき、中島栄次郎さんの遺稿のなかに、『西哲叢書』の一冊として書かれた『ニィチェ』の原稿がなかったのかと場焼かれていた、原野栄二先生のお姿は未だに忘れられない。

原野栄二先生の交際範囲の広さは、想像を超えてはるかに広い。物理学者の湯川秀雄白紙から、国民作家である司馬遼太郎さんまで。志賀直哉、武者小路実篤、倉田百三、高村光太郎、島崎藤村、谷崎潤一郎、川端康成等の文学者、イスラム教をはじめとする幅広い東洋哲学者である井筒俊彦まで、である。

ただこの原野栄二先生の活動が分かっているのは、東京帝国大学文学部哲学科美学専攻を卒業し新しい村に参加、新しい村を離れ、京都に移ってきて弘文堂の編集長になられてからのことである。『コギト』『ロゴス』『呂』『河』『雲』等といった同人誌を手掛けるようになられたのは、一体いつからのことなのだろうか。機会があれば、原野栄二先生の東京時代のことも調べてみたいように思えてならないのだ。

不思議なことに、原野栄二先生の東京時代のことは清香奥様も御存じ手はなかったようであった。

しかし不思議な人である。原野栄二先生は。一体何者なのかということが未だにわたしにはわからないのだ。だからこそ、いつまでもわたしにとっての�猴�想の人�瓩覆里任△襪里世�。

6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する