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2015年12月07日23:34

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PKOでの「駆けつけ警護」先送り 政府、参院選後に

■PKOでの「駆けつけ警護」先送り 政府、参院選後に
(朝日新聞デジタル - 12月07日 09:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3747443

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政府は、国連平和維持活動(PKO)に派遣する自衛隊への「駆けつけ警護」任務追加を、来夏の参院選以降に先送りする方針を固めた。複数の政府関係者が明らかにした。安全保障関連法成立を受け、当初は来春の部隊交代から武器使用基準を緩和し駆けつけ警護を可能にする方針だった。自衛隊活動に安保法が初適用される事例になると見込まれるため、世論に注目されて、参院選に影響するのを避ける狙いがある。

 駆けつけ警護は、離れた所で襲われた民間人や他国軍兵士を武器を持って助けに行く任務。安保法の一つである改正PKO協力法に盛り込まれた。自衛隊が武器を持って検問や巡回などの治安維持活動に当たることも可能になる。

 現在、陸自はアフリカ・南スーダンのPKOに部隊を派遣しており、来年5月の部隊交代に合わせ、駆けつけ警護任務を追加する予定だった。
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この法案が通るまで、他国と協調した作戦は展開しないんだろうけど、それを先延ばしすることでほっと一息ついているのは自衛隊だろうか。

警護活動が広範囲になれば、当然、危険性も増える。戦後、陸上自衛隊で初めて戦闘で人を殺す人も出れば、初めて殺される人も出るだろう(病死、事故、自殺者は除く)。

そのような重要案件を前にしても、、それよりも自分たちの選挙が大切という態度はどうも信用におけない。自衛隊の法整備よりも選挙を優先するという時点で、非常にトリューニヒト臭いのである。

政治家というのは信用ならないという気がする。軍隊を支持していて、自民党を支持する人はバカだろうという気もしないではない。

しかし世の中には、中立な意見をかざしながら、ある勢力にべったりな人もいるから注意は必要である。そういう自分は反自民だから、この記事もその姿勢である。

いずれにしろ、政治とは何であるかと考えるとその定義は難しい。政治的行動とか、政治判断という日常茶飯事な言葉でさえ、その意味を考えると分からない。

一体どういうことが政治的であるのか。それは果たして人間以外の動植物でも見られる行動であるのか。過去の歴史においても見られる行動であるのか。

と考えてゆくとき、政治的という意味は、説明することだと思ったりする。政治的行動とは説明できる行動という意味だ。説明できるとは、行為の正当性を多くの見知らぬ人に説明できるという意味だ。

故に説明できればよい。その説明が真実であろうと、嘘であろうと構わない。勝ち組だろうが負け組だろうが関係ない。政治的関係とは説明する関係性とも言える。

故に武力は政治は密接に絡み合うが、その本質は異にする。政治とはその最初から言論なのである。

すると言論的行動を政治的と言っても良いかも知れない。何もそれは話し合うという意味ではない。言葉とは思惑があり、その表現がある。思惑は言葉にされないが、言葉にされうるものである。

そして言葉にされるとき、その表現は様々である。つまり、思ったことを書きましょうという作文では政治は育たないのである。

思ったことがあります。それを相手に伝えたい。ただし、誤解するように。

思ったことがあります。それを相手に伝えたい。相手が自滅するように。

思ったことがあります。それを相手に伝えたい。自分に味方するように。

つまり政治的行動は必ず孤独では起きないという事になる。必ず相手がある。一人であれ、二人であれ、多数であて、相手がいる。そこに働きかけるのに、武力を使うでもない、資本でもない、仁義でもない。言葉がある。

言葉で伝える。武力で屈服させるのも、資本で買い叩くのも、仁義に訴えるのも手段であり、政治ではない。政治はそれらをすることを伝えることだ。思惑がある。自分はこう動こうと思う。

それを伝えることを政治的と言う。故に、思惑を見抜かなければ政治的行動は読み切れない。何かを伝えようとしている。今からお前を殺しに行くからな、今からお前を助けにゆくからな、今からお前を裏切るからな、という思惑が、様々な言葉になって表現される。

彼らには助けてもらった恩義があるのであります。もちろん彼らとの軋轢が消えたわけではありません。私はそれを決して忘れたりしないのであります、ずっと先まで。

そこには利得というものが潜んでいるはずである。よって、政治的行動は、権力闘争の一部となる。利益を得るためには力が必要である。大昔の略奪から始まり、様々な手法で略奪を続けてきた。富の蓄積が今日まで来た結果、言葉というものがより重要になってきている。

それが政治的行動と呼べるのではあるまいか、という話だ。言論の府である国会が形骸化して久しい。政治的行動とは新聞紙上で起きることだと思われている。また裏工作も、料亭で起きることも、それはすべて言葉である。沈黙でさえ、言葉であり、メッセージであり、政治である。

我々はまず言葉に注意すべきだ。その思惑は何であるかと。自衛隊の人たちの命ではない。

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