1910日目
・・・「自問自答」の以前に「他聞他(多)答」がある・・・宗教以前の「人間の問題」である・・・人間が「カミ」を必要としたのは当然である。理解出来ないモノは「畏怖する何者かの存在の仕業」とする他になかった。だが、旧約聖書は既に「私はアルと云うアルもの=私は在りて在るものである=’ehyeh ’ăšer ’ehyeh=エヘイェ・アシェル・エヘイェ)」と記録している。単純に云えば「スベテのアル=有・存・在・BEEN(There have been to be something)・existence・being」=「底存在するモノ=存在するスベテ」である・・・「エル・エローヒーム=エロヒーム(主)=アドナイ ヤハフェ(YHWH)=アドナイ ヤーウエ=エホヴァ=エホバ(Jehovah)=イェホヴァ=キュリオス (Κύριος) =ゼウス(Zeus)」、その呼び名が何であろうと問題はない。モチロン、認識論的には「自然存在と自然摂理」である・・・認識対象を「コトバの理屈」で理解するには膨大な「観察時間」と、「分析、分解時間」、それらのモノの「再構成、再構築」としての「実験時間」、それに人間の五感を超える「道具の発明」が必要であった。人間社会の諸関係で「神」を巡って「命のやり取り」するのは「愚行」ではあるが、「領土」を巡っての「命のやり取り」するのも「愚行」である。そして「財貨の多寡」で「命のやり取り」するのは「根本的な愚行」である・・・更に「名誉」を巡って「命のやり取り」するのは更に「愚行」である・・・「愚行・愚公」より、「愚考」する自分自身の「自問自答」を要請するモノのは何かを考えるコトが必要だ。「他聞・多聞」の「多答・他答」の「汰等」の「たとう・タトウ」である・・・モチロン、その「答え」は既に見えているハズである。そして、「ヨブのコトバの中」にあったし、ある。そして、それを悟った後の実行は、個々人の「自由決断の選択」である・・・生活に多忙なヒトビトはアマリ、その時間がないカモだが・・・「カミ」を頼ってはアラヌ人間に利用されるだけである・・・
各人、個々人が考えている「神・神々」は様々で、現れても気紛れな存在である・・・
「神=カミ」と云うコトバの「概念・範疇・本質・既定」が「共通内容で理解」されてはいないのは当然である。
「一般的な日本人が理解」している「神々」とは「御利益」と「悪戯(いたずら)」の「カミガミ」である。個々人の「お願いを聞いてくれ、お願いを叶えてくれる存在」である。時には「憑依して悪さをする存在」である。時には既に死んでしまったヒトの怨念の「霊魂=魂魄」である。
旧約聖書の「神」は自分から「ネタミの神」と宣言している
新約聖書の「神」は「天国と地獄の神」である
アラブの「神」は旧約聖書の「神」と同じである
エジプトの「神」は元々多神教で、太陽を神とした
ギリシャの「神」は多神教である。人間は「星」になった
ヒンズー教の「神」は多神教の化身の神々である
仏教の「神」は多神教である。しかも「輪廻転生」・・・
概ね世界各地の神々は「巫師・祈祷師」のシャーマニズムで、先祖の霊と動植物の精霊神である
スベテの「神の必要共通項」は、「その地域の人間社会の飢餓、疫病、災害から救済」であった。特に「救済の対象」は「貧困者と病人」だった。「神の主催者」は「巫女・覡・神官・医者・土木建築の技術者」でもあった。外部からの敵対侵入者に対しては共同体防衛の軍事的指導者にもなった・・・そして、「協働(共同)社会」の神々は、特殊、支配階級の神となって利用されるコトになった・・・
「エリフの神」は・・・ドウカ・・・
ーーーーー
旧約聖書
約伯 記
ヨブ・・・「与分・余部」記
・・・・呼ぶ記(紀)
第36章
36:1
エリフ
は
重ねて言った、
36:2
「しばらく待て、
わたし(わたくし・ム・よこしま・私)は
あなたに示すことがある。
なお
神のために・・・・「神の為」では無く「自分自身のタメ」?
言うべき事がある。
36:3
わたし(わたくし・ム・よこしま・私)は
遠くから
わが知識を取り、
わが造り主に
正義を帰する。
36:4
まことに
わたし(わたくし・ム・よこしま・私)の
言葉は偽らない。
知識の全き者が
あなたと共にいる。
36:5
見よ、
神は力ある者・・・当然である
であるが、
何をも
卑しめられない、・・・厭占める根拠がない
その悟りの力は・・・・悟るかどうかは人間次第である
大きい。・・・・・・・大小は人間が決めている
36:6
彼は
悪しき者を・・・・・・・・足(脚・肢・蘆)記物
生かしておかれない、・・・何時までのコトか?
時間の問題か?
蛙詞記物はナゼ存在しているのか?
苦しむ者のために
さばきを行われる。・・・・人間社会を
裁くのは「人間」であるが?
36:7
彼は
正しい者から
目を離さず、
位にある
王・・・・「王」がナゼ存在するのか
「王仁・王爾」と「鰐(わに・ガク)」に
訊いてみたいが・・・「千字文」・・・
「鰐」=魚+咢(口口一丂)
咢=おどろく・ガク
丂=曲がる・曲げる・コウ
咢=口々のイチ(一)を曲げる・・・
この「曲がったモノ」+「?の扁、旁」の
「部首漢字の意味」である・・・
↓↑
「顎=あご・頤
額=ひたい・ぬか・顙
鍔=つば・鐔・唾
鄂=湖北省の別称
鄂倫春族=オロチョン族
倫=伦
鄂温克族=エヴェンキ族
オトゴ-サウスルス?
(Otogo-saurus)
鄂托克(Otog)=トカゲauros(σαυρσ)
発見地の先住民の
薩茹拉(Sarula)にちなんで
中国語でOtogo-saurus=鄂托克龙
Otogosaurus sarulai
オトゴサウルス サルライ
薩茹拉 - 鄂托克龙
オトゴサウルス サルライ
音 語作得留素 猿 等意・・・サルに比訳詞意
卾(咢+卩・わりふ・セツ・セチ)
鄂(咢+阝・邑・むら・ユウ・ユ)
鶚=みさご
鶴=つる
愕=おどろく・驚愕・愕然」
・・・の学(まなぶ)、
「画句、臥句、芽句、牙句」である
・・・「王」ジタイの存在が問題である・・・
たちと共に、
とこしえに、・・・・・・永遠・永久
得意円・・・媛・燕・塩・炎・延・沿・援・猨・猿
円周率=「π(パイ)」=3.1415=無理数
円周の直径に対する比率
円の半径 r の円の面積=πr²
球の表面積=4πr²
円の体積=4/3πr³
重意遠(奄・俺・縁)ではない・・・
円=圓
圓大臣=都夫良意富美(つぶらおおみ)
都の夫は良い、意富(イフ)は美(うつくしい)
意-富=冨(とみ・フ・フウ)
訳視・附・封・楓
長髄彦=那賀須泥毘古=登美能那賀須泥毘古
(トミノナガスネヒコ)
登美毘古
( トミビコ)
「万物殷富・富国強兵」
圓大臣は
眉輪王=目弱王を庇護
眉輪王(目弱王・まゆわ)は
父は
大草香(大日下)皇子
母は
中蒂姫命
中に蔕(へた・タイ・テイ)を秘める命
蔕=萼 (うてな・ガク)
柿蔕 =しゃっくりを止る煎薬
(シャックリ=吃逆・噦噦)
名化は久坂(草加・日下)の下の帝
履中天皇の皇女)
理中→「履歴、草履、草鞋」の「なか=納化」
彼らを
すわらせて、・・・・・坐らせない
尊くされる。・・・・・・ミコトは
トウトクされない
36:8
もし
彼らが
足枷(あしかせ・ソクカ)につながれ、
悩みの
なわ(縄)に・・・・・・名倭。名和・・・那覇(沖縄奄美)
捕えられる時は、
36:9
彼らの
行いと、
とが(咎)と、
その
高ぶった
ふるまい(振る舞い)・・・附留妹
を
彼らに示し、
36:10
彼らの
耳を開いて、
教を聞かせ、
悪を離れて
帰ることを
命じられる。
36:11
もし
彼らが聞いて
彼に仕えるならば、
彼らは
その日を幸福に過ごし、
その年を楽しく
送るであろう。
36:12
しかし
彼らが
聞かないならば、
つるぎによって滅び、
知識を
得ないで
死ぬであろう。
36:13
心に
神を
信じない者どもは
怒りをたくわえ、
神に縛られる時も、
助けを
呼び求めることをしない。・・・信じない(信じられない)から
当然である
新字等例名意
36:14
彼らは
年若くして・・・・年齢(年令)には関係無く
死に、・・・・・・・示似
その
命は・・・・・・・意埜地
みこと=視こと
恥(はじ・チ)・・・・・・・恥=耳+心
辱・愧じ・羞じ
把持・土師
葉字・嵌字
知
のうちに終る。
36:15
神は
苦しむ者を
その
苦しみによって救い、・・・苦しみとは試練?
救いのレベルがある・・・
彼らの耳(みみ・に・ジ)を
逆境(ギャッキョウ)によって
開かれる。・・・・・・・・耳を開いてドウスル?
36:16
神は
また
あなたを
悩みから、
束縛のない・・・・・・命の生活に束縛のないモノは無い
広い所に
誘い出された。
そして
あなたの
食卓(ショクタク)に
置かれた物は
すべて
肥(こ・ヒ)えた物であった。・・・肥前・肥後・肥国
佐賀・熊本
36:17
しかし
あなたは
悪人のうくべき
さばき
を
おのれに満たし、
さばき
と
公義
は
あなたを
捕えている。
36:18
あなたは
怒りに誘われて、
あざけり(嘲)に・・・・・・嘲笑・・・長(重)背負う
帖章・長章・調章
陥らぬように・・・・・・・・陥落・陥没
心せよ。
あがない(購・贖)・・・蛙臥名意
安河内
しろ・・・・・・・・・・・・・・代・白・城・皎・・・新羅
白鷺城・・・詞等詐偽定
示鸕→鵜・鶖・鰞→鵜飼→迂回・得掛意
の
大いなるがために、
おのれを誤るな。
36:19
あなたの叫びは
あなたを守って、
悩みを
免れさせるであろうか、
いかに力を
つくし(悉・尽)ても・・・・筑紫・土筆
役(やく・エミ)に・・・・・・訳・薬・約
埜句
立たない。
36:20
人々が
その所から
断たれる
その夜を
慕(した・ボ)っては
ならない。
36:21
慎んで
悪に
傾(かたむ・ケイ)いてはならない。
あなたは
悩(なや・ノウ)み
よりも
むしろ
これを
選んだからだ。・・・・悩んだ結果の選択だろう・・・
36:22
見よ、
神はその力をもって
あがめられる。・・・・崇められるコトが目的なのか?
アメガムノン
だれか
彼(神)のように
教える者があるか。
36:23
だれか
彼(神)のために
その道を定めた者があるか。・・・人間のダレかである・・・
だれか
『あなたは
悪い事をした』
と
言いうる者があるか。・・・人間のダレかである・・・
36:24
神の
みわざを
ほめたたえる事を・・・褒め称えればイイのか?
忘れてはならない。
これは
人々の歌い
あがめる
ところである。
36:25
すべての人は
これを仰ぎ見る。
人は遠くから
これを
見るにすぎない。
36:26
見よ、
神は
大いなる者にいまして、
われわれは
彼(神)を知らない。・・・シラナイものである・・・
その年の数も
計り知る
ことが
できない。・・・・デキナイものが
ナゼ「大いなる者」なのか?
「不思議(不可思議)」は数字の桁数
10の80乗=足の捌足の乗=十の八拾乗=(10)⁸
のスウジ(取得字)
36:27
彼(神)は
水の
したたり(滴・瀝)を
引きあげ、
その
霧(きり・ム)を
したた(滴・瀝)らせて
雨とされる。
36:28
空は
これを降らせて、
人の上に
豊(ゆた・とよ・ホウ)かに注ぐ。・・・・ヒトは知ることも
出来ない「神」なのに、
ナゼ、
「その神」の仕業とするのか?
36:29
だれか
雲の広がる
わけ(訳)と、
その
幕屋(まくや・バクヤ)の
とどろ(轟)く
わけ(訳)
とを
悟(さと)ることが
できようか。・・・今現在、一般人は、
その「訳(わけ・理由)」も
「悟る=対象を理解する能力
(悟性・Understanding)」
も出来る・・・が、スベテではない・・・
36:30
見よ、
彼(神)は
その光を
おのれ(神)の
まわりにひろげ、
また
海の底を
おおわれる。
36:31
彼(神)は
これらをもって
民をさばき、
食物を豊かに賜い、
36:32
いなずま(稲妻)をもって
もろ手を包み、
これに
命じて
敵を・・・・・敵とはダレか?
偶像崇拝の異教徒か?
打たせられる。・・・敵には寛容では無い・・・
36:33
そのとどろきは、
悪にむかって・・・「悪」とは
「悪人」のみに向かってなのか?
「悪人=敵」・・・らしい・・・肝っ魂が小さい・・・
怒(いか・おこ・ド)りに・・・怒るとは「全能の神」らしくもない・・・
異化留
「カミがイカる」と
そう考えているのは人間である・・・
燃える
彼(神)を現す。
ーーーーー
・・・いまだ、「エリフ」の「神に対する理解」は出来ていないようであるし、「ヨブの疑問」にも「コタエ」てはいないようである・・・
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