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2015年11月18日12:49

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野坂昭如のエピソード。

「火垂るの墓」原作者、野坂昭如の娘の国語の授業で父の作品が扱われた。問題に「この時の著者の心境を答えよ」というものがあったので、娘は家に帰ってから父に訪ねた。「その時どんな気持ちだったの?」「締め切りに追われて必死だった」翌日のテストで答えにそう書いた娘は×をもらった。
http://matome.naver.jp/odai/2131648987921457201

国語の笑い話として有名ですが、これを根拠に大の大人が国語の授業をおかしいとするのは間違っていますね。
国語的には、「文章から読み取れる作者の意図」を聞いているので、
文章外の事情を考慮するはずもありません。

野坂昭如本人がそう回答した理由は、複数の理由が考えられるのでここでは論じませんが。
あくまでもシャレとしてのエピソードであるはずで、
間に受けている大人を見るとさすがに頭が痛いというか片腹痛いというか。


国語は正解がないというようなことを言う人が教師にさえいますが、
国語で「作中の人物の心情を答えよ」というような設問はロジックの問題なので、
正解は大筋で1つしかありません。
(稀に解釈が分かれる問題がセンター試験などにも出る、ようだ)
これを勘違いしていると、
「一生懸命考えて答えたのにバツを貰って自分が否定された感じがする」
みたいなトラウマになり、そのトラウマゆえに大人になってから
「国語には正解がない」
みたいなことをいうような気がしないでもないような。
正解がないのは、作文などの創作側のジャンルですね。
文章読解は厳密なロジックゲームですし、わかりやすい文章では能力が発揮されにくいので、
みなさんが「これでプロかよ」と文句をつけたくなるような文章がテストには使用されるわけです。

また、文章読解の論理性は理系の論理性とは異なります。極端な例ですが
「お豆腐1パック買ってきて。
 卵があったら3パック買ってきて。」
国語的な論理性の場合、豆腐1だけか、豆腐1卵3で買ってきますが、
理系の論理性の場合は、豆腐1だけか、豆腐3という買い方になります。
このような、国語的な慣習は多くあり、
「太郎は9時に家を出た。
 途中、最大限に急いだ。
 それでも太郎が目的地に着いたのは12時だった。」
というとき、途中で急いだのも太郎さんです。
これ、当たり前じゃねえかと思うかもしれませんが、
歴史の証言の解釈などで、前後の文脈を無視して
「太郎が急いだとは限らない」みたいなことを言う人、結構いるんですよ。※
私の日記には時折おいでになります。
国語的にはそういうものなの!と言われるとひねくれる人も多いようですが、
頼むからきちんとやってよー。


※ちなみに、広開土王碑の朝鮮解釈がこの恣意的な主語の入れ替え
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91



音読でセリフ部分が回ってくる… 国語の時間に嫌だなあと思っていたこと
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=134&from=diary&id=3717694
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