中学生3人はねた運転手が死亡
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3695247
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岐阜県可児市の市道で2日、下校中の中学生3人が車にはねられ軽傷を負った事故で、車を運転していた同県多治見市の男性(70)が3日、脳出血で死亡した。男性は意識不明のまま病院に搬送されていた。県警可児署は男性が運転中に発症し、事故を起こしたとみている。【式守克史】
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自動運転が実用化するのは間違いないと思う。
それは安全性を高めるものだし、事故を減らすだけでなく、渋滞の解消にも役に立つ。はっきりって、人間に操縦させるより、コンピュータが制御するほうが遥かに良くなる。
そのうち、F1ドライバーとコンピュータ制御の車の競争とかさせてみるといい。F1ドライバーが敗北するのは必至だから。
もちろん、それは今ではない。今ではないが、もうじきそうなる。既に飛行機がそうなっている。いまやコンピュータの補助なしでは飛行機は飛ばない。セスナとかああいうのは違うんだろうけど、最新の戦闘機とは全部そうだって聞く。
で車の自動運転が実用化されたら何が起きるか。
今日の毎日新聞にも書かれていたけど、まず保険はどうなるのか。
組み合わせは以下の通り。
人×人
人×COM
COM×COM
事故を起こしたときに、保険適用はどうなるのか。悪いのはどっちかという話。これは実際はやってみないと分からない。事故のパターンから、どちらに落ち度があるか、という経験をためてゆくしかない。
問題はコンピュータ制御の責任を搭乗者に負わせるのかという考え。自動運転していても、車の挙動に責任を取らされるのなら、結局運転しているのと変わらない。
それどころか、自動運転は、眠気を誘う役割しか持たない。つまり居眠りと戦う辛いものにしかならない。
だからといって人間に責任がないとなると、誰が損害に対して賠償するのかが決着しない。しかも自動制御に不具合があったらそうでるか。
VWの問題でも確かだが、販売者は絶対にしらを切りとおそうとする。それは医療過誤と同じ問題をはらむ。どちらが証明するのかってのは証拠がないと難しい。
車でも、医療でもすべて記録して、改竄不能な状態で蓄積すべきであるが、社会はそのような記録蓄積社会を望まないかも知れない。
するとCOM同士で事故が起きたら、これはもう、半々で折半するしかないのだろうか。そこに販売者も保険を積み立てる。大岡裁きでないが、なんとも言えないので、全員悪いとしちゃう。
では人とCOMの場合はどうなるのか。COMの暴走かも知れないし、人のミスの可能性もある。難しいね。
つまり、自動運転は単なる新しい機械の導入では済まない話だということ。コンピュータができることは、電卓が普及したのよりもずっと大きな社会変革を要求してくるという話。
今はその過渡期だから、いろいろな議論が起きるが、あらゆる点にコンピュータが導入されれば、ただの機械から社会基盤になる。
量の増加が質的変貌を強いる分岐点をクリティカルマスというらしいが、それが近い将来に起きることは明白だろう。
それは楽しみなことではなくて?
それまでにそのシステムがあれば救えたであろう両者の不幸があと幾つか重ねられなければならないのだ。
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