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2015年11月01日11:19

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王女マルガリータ

旅先のプラト美術館で
ベラスケスの肖像画を見た。

豪奢なドレスをまとった幼い王女。
恵まれた宮廷生活だったことだろう。
あどけない顔は自分の宿命を知る由もない。

だがその一生はあまりにも短く
はかないものであった。

果たして彼女の人生とはいかに。

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マルガリータ王女(マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ)
1651年7月12日
スペイン・マドリード生

父親フェリペ(スペイン王)
母親マリアナ(王妃)

この二人は伯父と姪の血族結婚。
両家は昔から親族結婚を行ってきた。

国王夫妻には
6人の子が産まれたが次々と亡くなり
マルガリータと弟だけが生き残る。

マルガリータは父親に溺愛され
多くの肖像画が残っている。

けれど弟は発育も知能もはかばかしくなく
父親に疎んじられていた。

マルガリータ自身も虚弱で幼い頃から甲状腺腫に苦しんでいた。


1666年15歳でウィーンに嫁ぐ。
(ハプスブルグ家の特徴の長い顎に変貌)

相手は母親の実弟で11歳年長のレオポルト一世。
これまた叔父と姪の血族結婚。

そして
流産を繰り返しながら6人の子供を出産。

だが子供たちはまともに育たず
16歳のとき産まれたマリアだけが成人。


6人目を出産した後の22歳のとき
彼女は命を落としてしまう。

夫はその翌年再婚している。

残された娘マリアも16歳で王侯貴族に嫁いだが
三人の子供は育たず
4人目を出産直後23歳でこの世を去る。

結局
マルガリータの血は死に絶えて
色鮮やかな肖像画だけが残った。

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ラベル「亡き王女のためのバパーヌ」は
このマルガリータをイメージして作曲されたとか。

当時の王族には結束固めの政略的な親族結婚。

だがマルガリータ本人は
薄幸とも血族結婚が悪しき習慣とも
思っていなかったかもしれない。


それに夫の愛情には恵まれていたようだ。

今は失った子供たちと一緒に
天国で幸せに過ごしていることを思い描きながら
美術館を後にしました。

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