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2015年10月06日22:51

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鳥取砂丘へ日帰りの歩き旅

鳥取砂丘を訪れたのは3度目です。初めて来たのは1988年3月30日。学生生活最後の年を迎えようとしていました。前年の秋に学会で金沢を訪れ、ついでに能登を回ったのが「ひとり旅」に目覚めるキッカケだったのですが、本格的な初めての「ひとり旅」の行先に山陰山陽を選び、広島、松江を回ったのちに鳥取砂丘を訪れたのでした。砂丘の広さと海の色の美しさに打たれました。斜面を利用したグライダー遊びが行われていました。専攻してきた学業に目的を失いつつあった日々、自分なりに現実に向かい合おうという気持ちを感傷と共に噛みしめながら海と砂を眺めていました。

2回目は2000年3月19日。関西学研都市の研究所に出向中の奈良から車での旅でした。天橋立、余部鉄橋と回ったあと浜坂のユースホステルで豪勢なカニ尽くしの料理を味わいながら旅人同士の旅談義に夜が更けた翌日でした。同じ部屋に宿泊していた若者が砂丘を見たいというので車に乗せてあげて鳥取砂丘を経由して鳥取駅まで送ったのでした。あいにくの雨で風も強い悪天でしたが、同行者は初めてみる鳥取砂丘に感激し満足できたようで幸いでした。その後、少なくとも2回の大きな異動を経て大阪の事業所にたどり着いた自分に三度目の砂丘の光景がどのように映るのかも見逃せない心象風景なのでした。

6年前のシルバーウィークにスタートした「歩きつなぎの旅」の西回りのコースが山陰の白眉の名所に到達することになり満を持して臨みました。山陰本線は砂丘を避けて迂回し鳥取の駅も市街地も砂丘より内陸に位置しています。JRの駅をスタートとゴールに定めて砂丘を一日の歩きの旅のルートに据えるには、鳥取大学前駅から線路を離れて歩いて山陰本線の線路がふたたび日本海に近くなるあたりの駅を目指して歩くのがベストの選択でした。大阪からの日帰りの旅にすることに決めて、好天の天気予報も確かめた上で10月3日の午前7時半に新大阪から特急スーパーはくと号で出発しました。

猛暑も過ぎ去り大阪でも半袖の人は少数派になりました。出発時には大阪は晴天でしたが、中国山地を越える途中では鳥取/岡山/兵庫の県境辺りで曇って低い山の頂も雲に覆われて不安感を醸し出していました。日本海側に達すると天候が回復して、歩き旅には絶好のコンディションとなりました。

前回の到達点である鳥取大学前駅を出発したのは午前10時40分。駅前の鳥取商高のコートでは生徒たちが元気にテニスの練習に励み、ポンポンとボールの弾む音が響いています。東へ向かう県道の沿道にはファミレスや自動車の販売店や居酒屋にラーメン屋といろいろな店舗が並び立って、車で外出するのがメインの生活である人びとの住む典型的な郊外の景色でした。

何の変哲もない郊外の景色は千代川を渡るまで続きました。幅広い川を渡ってから砂丘を目指すべく左折しました。国道9号線は山陰と関西を結ぶ大動脈となって車がビュンビュン走って横断歩道もなく危険だったので、河原の道へ降りて潜って抜けて砂丘を目ざしました。空は青く晴れて秋らしい真っ白な巻雲がたなびいています。轟音を立てて鳥取空港へ着陸に向かうジャンボジェット機が過ぎ去ると静けさが戻り、茶色の大きな鷲が一羽ゆったりと空を舞っていました。

出発前に鳥取県の都市地図を眺めながら、砂丘の西端から東端まで歩くことを考えていたのですが、それは不可能であることが分かりました。西側には浜坂と言う地名の閑静な団地になっていて砂丘とは森で隔てられていました。乾燥地研究センターという施設がありましたが休日で人の気配もありません。裏手から砂丘に至る道も存在しないようです。

歩道とサイクリング道を兼ねた道路を見つけて入り、つづら折りの坂道を登っていって行きついたのは「こどもの国」で砂丘はまだ防砂林の向こうです。県道に合流して1km以上歩いてやっと砂丘センターに到着しました。観光バスや自家用車が次々に到着してレストランも賑わっていました。レストハウスでは長靴の貸し出しも100円で行っています。

砂丘の正式な入り口はレストハウス付近のみのようで海水浴場の入り口と同じような雰囲気ですが、50mくらい侵入したところで前方に広大な砂漠が見渡せました。海へ向かって丘を登る人たちの姿も蟻の行列のように小さく見えます。砂丘へ直接つながるリフトもあり、降り場ではラクダが待っているのを右手に眺めながら、砂丘の中へと進んでいきました。海を見渡すには急な斜面になった砂に靴を沈めながら歩いて登ることになります。中国人や韓国人の観光客も多いようで外国語で号令を掛けて斜面をバックに記念写真を撮っていたりしました。若い女の子から熟年女性まで裸足で歩いている人もいて、ヒールの高い靴では砂丘を歩くのは無理だからに違いないのですが、裸足で歩く快感を味わう貴重な機会を楽しんでいるように感じられました。

砂丘と言えば風紋が有名ですが、天気が良い日の午後ともなればどこも足跡だらけで風の作った模様も散々に踏まれて乱れています。それでも風の吹きつける斜面では鋭くえぐれた模様が主体、平らなところでは穏やかな波の模様と違いが表れていました。砂丘のてっぺんにたどり着くと日本海が前方に広がりました。緑色を含んだ青色の海が強い風で白波が次から次へと押し寄せました。

流木を見つけたのでその上に腰かけて、しばし波の音を聴いて過ごしました。海辺に佇む人の中にスマホの画面に見入る人もiPODの音楽に聴き入る人もいません。砂丘の広大な風景や海からの力強い波音の前に人工の映像や音源は無力です。夕暮れまで砂と海と空の調和の中で過ごしたい気持ちを振り切って、ふたたび丘を登りました。空の上には一羽の鷲が悠々と羽を広げて舞っていました。

まだまだ人が次々と海を目指して歩いてきますが砂漠に吸い込まれていって景色の一部を形作っています。若い女性二人組がお互いに写真を撮りあいながら歩いていて、「水はどこだぁ!」なんて言いながら倒れかかって砂漠で力尽きる隊商か探検隊を演じています。またウェディングドレスの女性を先頭にした一団もやってきて、砂丘を背景に記念写真としゃれこんでいる様子でした。

もと来た方向より東よりに出口を求めたつもりでしたが、畑を抜けて駐車場に辿りついて気が付くと砂丘センターの少し先、広大な砂丘のごく一部を回ってきただけだったのでした。普段と同じ靴で歩いてきたけど、靴の中に入った砂は片方当たり10ccにも満たず、砂の上の歩きとしては上出来と言えたかもしれません。

砂丘センターから鳥取駅とは反対に東へ東へと向かう進路を採りました。鳥取砂丘細川線という県道にはサイクリング道路が並走していますが起伏がありました。防砂林の向こうからはひっきりなしに風の音と波の音が響き渡ってきます。4kmくらい歩き続けてたどり着いた集落には鳥取県でよく見かけられた黒瓦と羽目板の壁の家々が並んでいました。

この先、国道9号に合流して峠を越え、カーブも多い急な坂道を抜けてさらに1km以上線路に沿って歩いて大岩駅に到着。単線の線路に片面のホーム。駅舎はなく道路からホームの端に踏切を渡って上りました。15時50分。平日なら4分後に鳥取駅の列車が来たはずですが、休日ダイヤだったので16時28分までホームの待合所で過ごしました。鳥取駅に到着したのは16時50分で京都行のスーパーはくとに直ぐに乗車できるタイミングでしたが、日帰りのあわただしい旅を避けることにして18時40分の特急まで鳥取の味覚を楽しんでから帰阪することにしました。

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