mixiユーザー(id:9665296)

2015年09月24日08:08

245 view

新潟県の穀倉地帯を淡々と歩く

「歩きつなぎの旅」を始めたのは6年前のシルバーウィークでした。使い勝手の悪そうな連休に「つくばエクスプレス茨城エリア全駅途中下車の旅」、「東京湾横断と小学校、中学校、高等学校、最初の配属先の研究所を再訪する日帰りドライブ」に続く第三段の企画として横浜市青葉区の自宅から渋谷までの35kmを歩き、今では本州一周のゴールが見え隠れするまでになった大きな旅のスタートとなったのでした。

今回は盆休みに引き続いて新潟県の沿岸部を歩き進めることにして、柏崎をゴールに定め、次回からは大阪からの土日の旅で東回りの旅をこなせるようにしたいと目論みました。ところが新潟で大きなイベントがあるのか20日のホテルの満室が相次いでいたので、19日の一泊のみで二日間の旅に変更することになりました。

19日は大阪を出発したのは午前7時前。東京駅で上越新幹線に乗り継いで燕三条駅到着は11時40分。無人駅の弥彦線の駅を出発したのは12時17分。吉田駅で越後線へ乗り換え。分水駅からのスタートは12時50分でした。駅前は70年代の場末のような雰囲気の街並みで古びた商店が並び、道路の中央には融雪用の水の出口が空いてアスファルトの上は赤さびに染まっています。街の区画や方向感覚がつかみづらくて、持参の都市地図の縮尺が大きくなかったら道に迷うところでした。

西川が北に流れるほとりには中小の工場も立ち並び、信濃川の放水路を渡る橋にたどり着くまでに30分を費やしました。分水と言う地名は信濃川の放水路を建設したことに由来し、国道の橋からは可動堰の姿も眺められます。国道から寺泊駅の方向へ分かれる県道に人通りはなくて車ばかりが走っていました。寺泊の集落を抜けると一面に田んぼが広がっています。線路に沿った舗装もされていないあぜ道を2kmくらい歩き続けました。刈り入れを前に黄金色に輝くばかりの田んぼ、濃い緑色で地面を覆い尽くす大豆の畑、すでに刈り取られて切株ばかりの田という風景が広がっています。炎天下の季節はすでに過ぎ去って、コオロギなどの虫の声もさかんに聞こえてきます。

次の桐原駅は事業所の休憩所のような簡素な造りでトイレを備えていました。駅前の舗装の工事が行われている最中でした。この先の道も田んぼばかりの風景が続きます。小島谷駅の周辺には役場関連の建物が並んで少し賑わい、次の妙法寺駅の正面には倉庫があって、向かいの滑り台やジャングルジムなど一通りの遊具を備えた小さな公園で遊んでいた小学生の女の子三人が「こんにちは!」と元気に挨拶してきました。

出雲崎の駅に向かうと、だんだんと両側から山が迫ってきて線路と国道を締め付けるような感じになって田んぼや畑も細長くなっていきました。総合福祉センターという建物の中ではお年を召された数人の男女がテーブルに着席して合コンのような雰囲気を楽しんでいるようでした。出雲崎の駅の周辺は自動車の修理工場やJAの建物や小さなスーパーのような店もあり、それなりの賑わいを見せていました。年取った駅員が改札に居る出雲崎駅への到着は17時15分。40分以上の待ち時間でやってきた列車は、女子高生など結構な数の乗客で込み合ってきました。

翌日は燕三条駅発7時45分の列車が吉田駅に着いたのは8時でしたが、柏崎行の列車への乗り継ぎを40分も待ちました。出雲崎からのスタートは9時10分でした。前日と同様に晴れ時々曇りの歩きにはまずまずという天気です。出雲崎駅からの線路と道路の両側から山が迫って、田んぼも畑も細長い土地なのはここまで続いていた風景と変わりません。電車の方も9時台の次は上りも下りも11時過ぎまで無くて、出雲崎の二つ先の石地駅を過ぎたところで、やっと新潟方面へ向かう二両の列車が黄金色の稲を前景に走る姿をカメラに収めることが出来ました。

今回の帰りの予定を考えると西山発の12時半頃の列車で燕三条へ戻るのがベストの選択でした。駅名ほどは有難味が感じられない礼拝駅を越えてまもなく国道に合流すると無個性な景色になり、西山駅へは交差点から集落に入って少し戻る形になりました。木造の小屋のような西山駅の駅舎は多少の風情はありましたが、無人駅で切符の自動販売機すらもなく整理券のようなものを発券して乗り込むシステムでした。12時5分の到着で列車は12時31分。弥彦線直通の列車だったので、燕三条駅に13時半の到着。明るいうちに東京に着く新幹線にも十分余裕がありました。

3 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する