「シドニアの騎士」と言う作品をご存じでしょうか?
コミックが原作でアニメ化も2期されているので、
既知の方も多いと思いますが、
ご存じであることを前提で日記を書きますが、
あの舞台設定は絶妙に現代の日本を表している、
その機微が安保法案の反対論者を見ていると、
作者の意図は差し図れませんが、
舞台設定をあえて書くと、
ガウナと言う地球外生命体の来襲により、
地球が天体レベルで崩壊し、
人類は種播船、と言う言わば戦闘用のコロニーに住みながら移動し、
敵であるガウナとの遭遇に備え、武力の維持と開発をし、
移住可能な惑星を探索すると共に、
ガウナを根絶する旅を地球破滅後、1000年にわたって続けている、
と言うような舞台です、
基本的に敵であるガウナは個体でも集団でも、
人類を遙かに上回る戦闘能力を有しており、
人類は人型の有人型ロボット衛人を操縦し戦わねば、
戦闘にもならないほどの差があります、
さらにガウナとは対話は不可能であり、
和平を結ぶ、と言う選択肢はなく、
戦い勝たねば人類の未来がない、と言う状況です、
その舞台で面白いのが、
そのシドニアと称されるコロニー内に、
反戦を謳う組織や集団が描かれている事です、
ガウナと対決をするのではなく、
武装を解き、非武装であればガウナとは戦いに至らない、
従って戦う姿勢をしてはいけない、と、
そういう組織集団が描かれているのですが、
ウチが想像するのは、もし、シドニアの騎士の舞台で、
ガウナとの全面闘争に多大な犠牲を出しつつも勝利し、
敵ガウナの根絶を達したとすれば、
戦いに参戦した兵士が死傷し、
数の上で反戦を謳った集団が勝ったとすれば、
反戦集団は戦った兵士を、
兵(つわもの)と称賛するでしょうか?
おそらくは称賛などしないでしょう、
何故なら兵士を称賛する事は、
自身らが何も犠牲を払わず、
ただ単に反対活動に勤しんでいただけ、と告白するようなものですから、
自身の名誉?そんなものがあるのかわかりませんが、
戦後の世界を生きてゆくために、
自身の名を落とさぬよう、戦いそのものを否定し、
戦った兵士を蔑むでしょう、
この考えが浮かんだ時点で、
日本の反戦運動家、と言うものが、
基本的に自己犠牲を厭い、
自己保身が強く、他者に対して否定的で、
自身に対して異常なほど肯定的であり寛容である点が、
何か腑に落ちた、と言うか、
妙に納得できるのです、
戦前戦中、戦いを煽っていた朝日新聞が、
戦後、極端なほど、自国の戦争や防衛力に対して反対論者になったのも、
いわば自己保身の姿勢であり、
自虐的と称される戦争史観も、
犠牲を払った軍人に対する冒とくと言っていい他者への否定です、
「シドニアの騎士」は創作物であり、
それを歴史に当てはめるのは本末転倒かもしれません、
ただ、勝者の思考、敗者の思考、
そういった思考実験には大変貴重で便利な題材だと思うのです、
原作者の意図は違うでしょうが、
ウチには反戦論者の行動原理の一端が垣間見えたように思うのです。
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