このあいだ台風の時「田んぼの様子を見てくる」などとつぶやいたのは忘れたふりをして書きますが。
この手の災害が起こると、「一番欲しいのは情報」というなんかかっこいい方や、
あるいは「○○の様子を見てくる」といってなくなる方が発生します。
この時、情報には2通りの情報があることに注意が必要です。
手に負える情報と手に負えない情報です。
例えば、ニワトリ小屋の様子をみにいてくるという場合、
ひどい様子だったらニワトリを母屋に入れる、というのなら見に行く価値があります。
川の様子を見に行って、あふれそうなら避難する、そうでないなら残るというのも有りの範囲内でしょう。
しかしその場合、危険かどうかの判断基準を持っているかどうかが重要です。
例えばその河川の設計限界水位(←なんとかという専門用語がある)を知っていて、
それを基準に判断できるのであれば意味がありますが、
漠然と見にいくのでは情報はあっても論理的な処理ができないので、
カンで判断するしかなく、ならば最初からカンで逃げた方がましです。
カンが外れて川と家が無事だった→なんの問題もない
カンが当たって川も家もダメだった→逃げてよかったね
特にこの場合、逃げた場合と逃げなかった場合のリスクとリターンが不釣り合いなので、
川に見にいくくらいの雨なら逃げた方が断然良い、
つまり川の情報を得る価値がほとんどないということになります。
同じように、いと避難所に逃げてから自宅を見に行くのも、
自宅までものを取りに行けるかどうかを見に行くのは有りですが、
自宅が流されたかどうかを見に行くのはナンセンスです。
この場合、前者は正確には家を見に行くのではなくて、家までの経路を見にくということ。
対象も人命ではなく物品なので、リスクを大きく回避する必要があるはずです。
この問題が顕著に表れたのは3.11の原発問題で、
正確な情報を出せ!政府は隠蔽している!などという声は多くありました。
しかし、正確な情報を見て引っ越しや国外逃亡を実行できる人ならいいのですが、
できなければ明日も普段通りに会社に行くしかなく意味がありません。
また政府が隠蔽しているというなら次の発表も改ざんされたものであると考えるべきという問題に
皆気づかないまま大騒ぎしていました。
マスクや放射性物質対策をします!というなら情報がなくともやればいいわけですし、
ただちに健康への影響がある(←なつかしい)と思うなら逃げるしかありません。
多くの人にとって手に負えない問題で、
どう転んでもできることのない無意味な情報要求だったわけです。
もちろん政治活動の一環として政府を糾弾する手段であれば有効ですが、
胃に穴があきそうなくらい涙目でキリキリする価値はありません。
単純な欲求の幾つかは自己処理ができることに気づくべきですし、
自己処理をしたほうがはるかに健康的です。
もちろん、情報を提供できる側は感情を考慮にいれて動くべきとは思いますが、
それはあちら側の問題、今回の話はこちら側の問題です。
この手に負える手に負えないという問題は人生においても正確に把握するべき物事の一つです。
例えば恋愛において、「相手が自分を好きかどうか」という情報を欲しがって悩みぬく人は多いのですが、
それは開けてみるまではわかりませんから、この欲求はナンセンスです。
それがわかれば誰も苦労しないっちゅうね。
無意味なので、悩むのをすっぱりと止め、告白しましょう。
あるいは諦めなさい。ええ?諦めきれない? だったら告白してこい!!!
まあ、でも買い物も買うまでが一番楽しいというしね!
この話には、損切りという概念と、
大多数の人が自分を特別だと思うバイアスがかかっているという話で補足するべきなのですが、
割愛します。
■被害拡大、全容つかめず=鬼怒川決壊、子どもら不明22人―栃木・宮城で3人死亡
(時事通信社 - 09月11日 15:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3611169
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