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2015年09月07日12:03

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大切な人の死に際して

 大切な人が亡くなりました。

 あまりにも突然のことで、ショックから悲しみに代るまでにも数晩かかりましたが、ようやく気持ちが落ち着いて来ました。

 人が亡くなっていつも思うのは、人が亡くなるという一大事が起きているというのに、自分の日常はごく普通に続いていくということです。

 今回も、遺体と対面した数時間後に、塾でいつも通りに授業をし(むしろいつも以上の授業ができるように心掛けました)、その後自宅に帰って普通に夕飯を食べました。

 そういう生と死のコントラストは、一見不思議で奇妙で、時に生き残った者の心を複雑にしますが、少し都合よく考えれば、人の供養とは本来そういうものなのかもしれません。

 亡くなった人に対して、してあげられることとは一体何でしょうか。

 それはその人のことを、できるだけよく覚えていて、できるだけ思い出してあげるということだと思います。

 僕は、全くの無信教で、お墓参りにも積極的に行く方ではありませんが、ある人の心臓が止まり呼吸が止まる生物としての死の後に、その人のことを誰も思い出さなくなる完全な死があり、実はそちらの方が本当はずっと恐いような気がします。

 であるならば、亡くなった人の立場としても、その時はその人のために悲しみ、涙を流してもらいたいと感じるかもしれませんが、その後はこの世に残っている家族や、友人、知人に、元気に生活をしてもらって、時々思い出してほしいというのが本心のようにも思われます。

 自分が亡くなったことで、残された人の人生を振り回し、翻弄したいなどと考えている人は一人もいないはずです。

 今日は、僕にとってありふれた一日です。

 これから大きな書類を上げ、その後打ち合わせの予定があり、それが終わると、テスト1週間前に入った生徒がいるので、できるだけ早く塾に入って準備をします。

 お昼はどこかで軽く済ませることになると思いますが、そういうありふれた一日は、亡くなった彼の生きられなかった一日、すなわち2015年9月7日の月曜日です。

 僕の人生も遅かれ早かれやがて終わる時が来ます。

 そして、塾の生徒の小中高生すら、いつか必ず人生が終わります。

 そういう大切な一瞬間を共有しているという大きな覚悟を持って、これからも生徒と、そして仕事に向き合っていきたいと思います。

 思い出すのは彼の笑顔や良い表情ばかりで、その彼とともにこれからも生きていくつもりです。

 僕自身が日々健康で、元気に過ごし、少しでも人に役立つ良い仕事をし、心を清く保つ上で、時に彼のことを思い出すこと以外に、彼を供養できることはないはずです。

 改めて気持ちを切り替えて、彼のためにもしっかり生きていきたいと考えています。


※この文を読んで頂いているほとんど全ての方が“彼”のことを知らないはずですが、もしお許し頂けるのであれば、今一度御自身の生きるということについて、または御自身の人生が有限でいつか終わりがくるということについてお考え頂ければ幸いです。それが若くしてなくなった“彼”への間接的な供養にもなるのではないかと思い、心からお願い申し上げます。
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