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2015年09月06日21:51

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迷子列車の終着駅

自分自身の行動について、
正しいか正しくないのかを、自分で決めることができないからといって、
他人の評価に依存し過ぎてしまえば、
自分にとって正しいことが正しくなくなるだろう。
つまり自分の生き方を他人の評価によって決定しようとすると
「自分自身で生きている」という実感がなくなり
社会に生かされているだけになってしまう。

もしも、自分の生き方を自分自身で決定したのなら
自分と違う生き方をしている人に干渉しないはずだ。
他人に干渉するのは
「自分は世の中のルールに従って生きているのだから、
自分以外の人もそのルールに従わないといけない」と意識しているからだ。
つまり誰かが決めたルールに従って生きているだけで
自分自身で生き方を選択した訳ではない。
説教したがる人は、自分の生き方に自信を持っていないのだ。

思慮が足りず、ルールに従って生きているだけの人は
世の中の全ての人が同じ生き方をすることを望む。
そうでなければ自分の生き方を否定しなければいけないからだ。
だから他人の行動の自由を否定する。
「否定しなければ自分の生き方を肯定できない」 という信念を持っているのだ。

だから芸能人の不祥事が暴かれると拍手喝采して歓喜する。
「社会のルールに従わない人はクズだ」と思い込んでいるのだ。
そして芸能人に対してはよりいっそう厳しい社会的制裁を望む。
たとえその不祥事が取るに足らないことであっても決して許されない。
一度も会ったことのない芸能人でも干渉しない訳にはいかないのである。

けれども他人の評価は無常で虚ろなものだ。
実体がなく空気のようなもので変幻自在である。
昨日、賞賛されたことでも、明日は非難されるかも知れない。
だから自分自身も変幻自在にならなければいけない。
周囲の空気を窺ってからでないと何もできなくなってしまう。
しかし、他人の評価に普遍的価値はないのである。

自分を縛るのは自分自身が作ったルールだけだ。
他人の評価に縛られていたら「コペルニクス的転回」と出会うことはなくなるだろう。
価値観の逆転がない人生ほどつまらないものはない。
それがなければがんじがらめにされて身動きできなくなり
迷子列車の指定席に座り、
窓の内側から世の中を座視したまま
人生の終着駅にたどり着くことになるだろう。



人生の大失敗1位は「就職先選び」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=29&from=diary&id=3602285
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