クラフトワークというバンド名は発電所という意味で、そういうバンドが「放射能」という曲で“放射能をストップしろ”と歌っているわけで、電気というテーマがどうしてもついてまわる見方を否応なしにされてしまうだろうと思われるバンドが反原発の姿勢を示すことに対し、“電気がなければ成立しないバンドが何言っちゃってんの?”という見方もありましょうし、逆に“だからこそそこは言っとかなきゃいけないんじゃないの?”という見方もありましょう。
そこはYMOの坂本教授も似たような状況で矢面に立たされてるように思われるところがあります。
と、元々はそういうことを書きたかったわけでもなく、前の日記でフローリアン・シュナイダーのことについて少し触れたんですが、最近はクラフトワークの曲を聴くことが多くて、なんか、聴くと泣いちゃうんですよね。
心が弱ってるのかなぁと(あるいは歳をとったか)。
特に泣けちゃうのが「アウトバーン」「ヨーロッパ・特急」「ネオン・ライツ」あたりですね。
ま、「ネオン・ライツ」は泣きのメロディだし涙腺が緩むのはしょうがないかもですが。
で、YouTubeで検索するとクラフトワークのライヴ音源というのがけっこう上がってて、どうもそれはブートレッグからのものじゃないか?と思われるのがかなりあって。
これは1981年の“東京でのコンサート”と銘打たれてますが、たぶん中野サンプラザでのライヴ音源で、当時NHK-FMでオンエアされたものと同じではないか?と。
中3の時にラジカセでエアチェックしたカセットテープで聴きまくったライヴ音源なので。
けっこう細かい箇所まで覚えちゃってて、おおっ!これこれ、これだよ、って感じでした。
当時のカセットはどっか行っちゃったから聴き比べができないのが残念ですが。
あと、同年のコンピューター・ワールド ツアーの他国の音源を聴くと、曲目が少し多いんですよね。
「モデル」「放射能」「オーム・スウィート・オーム」「鏡のホール」のこのツアーでのライヴ音源は初めて聴きました。
「電卓」はたぶん日本公演でも演ってるはずなんですが、FMではオンエアされなかったんだろうなと思うものの、他の曲はどうなんだろう?と。
実はクラフトワークの初来日ってホント行きたかったんですよ。
でも当時の私は中3で、東京に行くことは叶いませんでした。
その2年後、高2の時に新宿厚生年金会館にジョン・フォックスを観に行くことになりますが。
中学生だった頃、クラフトワークというバンドは少なくとも私のまわりではメジャーなバンドでした。
同級生で聴いてるやつ、多かったし。
あたしゃ毎週聴いてた坂本教授のNHK-FMのサウンドストリートで『コンピューター・ワールド』の特集があって、それを聴いて地元のレコード屋で買いました。
初めて買った洋楽のLPです。
1981年の春のことで、時が経ち、1998年に赤坂ブリッツでようやくライヴを観ることが叶いました。
ウォルフガング・フルールとカール・バルトスという2人の馴染みあるメンバーがその時すでに脱退していたことは少々残念ではありましたが。
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