27日の道新「私の戦後70年」より一部抜粋。
元サッカー日本代表監督 岡田武史さん
W杯はナショナリズムをあおるから良くないという声もある。でも、自国を愛することは大切だ。
10年W杯で日本はパラグアイに惜敗し、初の8強入りを逃した。
相手も初の快挙で大喜びだったが、ただ一人、ロケ・サンタクルスというスター選手は落ち込む日本選手一人一人の肩をたたき、握手していた。
彼は日本人も自国を愛し、誇りを懸けて戦ったことを知っていた。
相手も自国愛を持っていると理解することが本当のナショナリズムだ。
12年から2年間、中国のクラブチーム、杭州緑城で監督を務めた。中国は勝手な国というイメージがあったけど、本当はどんな国なのか知りたかった。
12年9月に尖閣諸島の問題で反日デモが起きた。日本では放火された日系スーパーの映像が流れていたようだが、無事なスーパーはたくさんあったし、個人的に嫌な思いをしたことはない。
伝聞ではなく、体験を伝える大切さを痛感した。
【自身も3人の子を持つ親。
「自分の子を戦場に送りたいと思う親はいない」中国など世界を回って実感した】
日本は憲法で戦力を持たないとうたったけど、朝鮮戦争の際、米国の要請でつくった警察予備隊が今の自衛隊。
国内向けには軍隊ではない、米国にはつくりました、と二つの顔を使い分けてきた。日本は米国の庇護なしには生きていけなかったから仕方がなかったと思う。
だが、集団的自衛権を行使するなら、国民に問わないといけない。
自衛隊を持つまではまだ良かった。
でも集団的自衛権の行使は明確な戦闘行為。やるならば、きちんと憲法を改正するべきだ。
ここはごまかしてはいけないところ。
その上で国民の過半数が「軍備を持つことを明文化すべきだ」となるなら仕方がない。それが民主主義だから。
第1次世界大戦後に経営学者のドラッカーが書いた「経済人の終わり」には、格差のないユートピアを旧ソ連に期待したが、全く違う現実に人々が「絶望」し「諦め」がファシズムを生み出している、とある。
今、日本でも安全保障関連法案の審議が論議を呼んでいるが国民に「諦め」に近い無力感を感じる。
それは非常に恐ろしいことだと思う。
■安保法案、修正せず=維新「分裂」で見切り―政府・与党
(時事通信社 - 09月01日 19:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3594783
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