http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/zen.html
この方の読書録には いつも うならされるけど、
この1968年生まれの、禅を研究しにきて、
兵庫県の北の鳥取県との県境の自給自足の檀家の無い寺の
住職になったドイツ人の書いた本の要約は素晴らしい。
このネルケ無方は、大阪城公園でホームレス座禅をしていて
知り合った9歳年下の日本人女性と結婚して、3児の父である。
こう書くと、いい加減な印象になるが、自給自足の寺の畑仕事は
未経験なネルケ青年にとって、ひどく辛かった。
おそらく、この人と寺に好感が持てるのは、そのマジメな
自給自足ぶりなんだろう。檀家から金をもらわないというのは
現在の日本の寺のほとんどと異なる。
修業してる坊さんの卵は、一生保障される坊さんになるために
修業してるそうである。
ネルケ青年は、「おまえなんか、趣味でやってるんだろう」と
バカにされるのである。
まさに修羅場である寺の住職になったネルケ氏。
今 47歳。
彼の座禅とは何かの文章は、読んだだけで正解と思える文章だ。
おそらく、座禅とは、今の自分そのものに焦点を合わせる作業なのだ。
自分の目標とか、目的でなく、そんな事を追い求める生活の中で
見失った、あるがままの自分を、しっかり見つめ直す事なのだと思う。
多分、心のカイロプラクティックと言えるのではないか?
そして、体のカイロプラクティックが、関節の補正しか出来ないので
その後の、筋肉などの補正も必要なように、
座禅も、雑念を取り去り、本来の心のバランスを取り戻す事なのだけど、
また、それまでの日常に戻れば、また、心のクセやら悩みが出来るので、
常に、座禅が必要なのだろう。
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