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2015年08月29日21:09

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鴎外の三男坊 類

森鴎外の末っ子、森類氏の伝記。

鴎外の長男、於菟氏は、末っ子の類氏より21歳、年上だった。

姉、茉莉は、8歳、年上、杏奴は、2歳年上。

鴎外の教育ママ、峰子は 鴎外の死ぬ7年前まで生きていた。
亡くなった時、70歳だったから、鴎外は16歳くらいの時の子になる。
峰子には、他に2人の男の子、一人の娘がいた。

峰子の死後、すぐ、於菟は1度目の結婚をし、すぐ離縁したが、
また、すぐ再婚した。於菟の子供達は 5人共、大変優秀だった。

40歳で22歳の志けと再婚した鴎外は、茉莉が生まれた後、
日露戦争に行かされるので、杏奴と茉莉は6歳、年が離れている。
(その間に生まれた次男、不律は、生まれて、すぐ亡くなった。)

鴎外49歳、母31歳の時、生まれた類は、11歳で父が死ぬまで
非常に可愛がられた。学業不振に対しても、根気よく指導はしてくれても、
叱られはしなかった。鴎外は、漱石と違い、2人の息子達に対しても、
けっして、短気を起こさなかった。

類は15歳で学業を離れ、母の勧めで姉と絵を学びだす。
18歳で、同じ画学生の娘に恋をするが、ふられて落ち込む。

主婦業が嫌いで、2人の息子に恵まれたのに離婚された長姉、茉莉は
再婚するが、やはり、主婦業嫌いで、2度目の離婚をされる。
母、志けは、3人の子供達の行く末を病身の身で、悩み、
独身の2人を、パリに絵の修業に出す。

ここで、杏奴と類は 2年間、楽しく過ごす。
杏奴は、すぐに恋愛結婚したので、類は以後、6年、茉莉と暮らす。

類は 30歳で、周りの世話で、大変幸せな結婚をする。
1941年なので、生活は大変だが、3人の娘と4番目の男の子が生まれる。
類は、1,2年、原稿取りのサラリーマンや、文化学院の講師をする。
40歳になって、10年ほど、妻に店を任せ、自分は外回りする本屋を始める。
この間に、姉の化粧の様子を書いた作品で、姉に一生恨まれる。

この本には、類の手紙や、作品の引用が豊富に出てくるが、
この問題の姉の描写は、確かに、つき放した描写だが、
これで、一生恨むというのは、性格が狭量な気がする。
事実そのままなのに。

父の時代からの土地に開業した本屋は、父の記念館にするために没収される。
類は、アパート経営を始め、自分は平屋の都営住宅に移る。
56歳から61歳までの間に、三女以外の3人が幸せな結婚をする。
妻が肝硬変で、類が65歳の時、59歳で亡くなる。
この年、三女はパリに移住を決めていた。
(三女は 後に、フランス人の物理学者と結婚する。)

類は、妻の主治医の勧めで、裁判を傍聴し、作品にする。
この関係で、共産党の女性の応援も引き受ける。

68歳で、6人目の見合いの相手、55歳のクリスチャンと幸せな結婚をする。
72歳の時、長男がホンダの本社に就職する。
この頃から、狭心症の発作が出始め、ニトログリセリンを使う。
再婚の妻と2人で、犬の散歩をするのが日課だった。

77歳の時、長姉の茉莉が84歳で一人暮らしのまま経堂で亡くなる。
80歳で、久しぶりの犬の散歩の疲れが出た後、2日後、亡くなる。

類は、東京の生家、田園地帯の西生田(いくた)、千葉の大原の近くの
父の別荘(祖母の入手した土地)のあった場所の日在(ひあり)の
3か所を行き来する生活だった。

類氏は、晩年、日本人離れした顔立ちの老人になる。
自転車を愛用し、ジーンズをはく人だった。
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