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2015年08月28日02:22

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ボクが読書家、分析家に目覚めた理由


最初に書いておきますが、

ボクの行為は、全てエゴなんかではない。

エゴとは、欲望や願望である。

ボクは、博愛活動をしている身分だ。

言うなれば、セルフと呼んでほしく思う。

セルフとは、神や仏など、聖なる霊的な存在・現象に基づき、活動をする事。

どんなにセルフを極めようとも、活動資金は絶対必要である。

自分が嫌がっても、衣食だけは、絶対必要なのだ。

衣食 足りて 礼節を知ると言う。

衣食 貧しくなれば 人道に反する恐れがある。

人道に反しない為に衣食が必ず必要になる。

自分が満たされて、初めて、博愛活動ができるのです。

本題に入りましょう。

ボクが本を読むようになったのは、病気の悪化傾向があったからである。

ボクは、自分を作る為に本を読む。

よく、自分探しというキーワードを耳にするけど、

自分を探しても、何も見つからないのが現実である。

ボクは、エンターテイメントとしては、本は読まない。

サブカルチャーやアンダーグラウンドには深い興味があるけども。

ボクが最も好むジャンルは、メンタルやオカルトです。

目耳で視聴できる事に興味なんてない。

事実や道理というものは、常に闇の中にある。

ボクが信じている概念とは、感じるところにある。

ボクは、基本的に考えない。

考えると事実や道理を見失う。

天才とは、いつの時代も理解されないとする言葉がある。

別にボクが天才と言いたい訳じゃない。

言わば、天才に近い異端児だ。

だから、誰からも理解なんて得られない。

ボクは、色々な本を読んだ、色々な人に出会った。

そして、思うのは、みんな、思想や流儀が違う。

みんな違って、みんな良い。

ボクの意見や情報発信が理解できないならば、無理に理解する必要性もない。

実践経験ないところに理解なんて有り得ない。

今、わからない問題は、頭の中に置いておくと良い。

そのうちに理解できるかも知れない。

知識だけがあるのと、

理解ができているのは違う事

言葉で説明するのは、一番、困難な事だと、ボクは、思っている。

経験→実感→理解

こういう現象が起きて、理解の境地に立てる

だから、

わかれば、わかる程に、わからないのだ。

なので、わかった気になって、自惚れたり、威張ってはダメなのだ。

答というものは、各々それぞれの中にある。

ボクの真意と他人の解釈が不一致なのも、至極当然である。

:賢太郎より。



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