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2015年08月21日10:39

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ツァラート と らい は違う 大嶋牧師 山陽新聞から

http://ww1.tiki.ne.jp/~uruooosima/index.html

聖書の原語の追求は大変だが 大事なことだと思う。
そして、このハンセン氏病への偏見を15年以上かけて修正されたことに尊敬。
かつて、トルストイや土御門氏も聖書の原典の追求をがんばった。

以下、山陽新聞 2015−8−20 p、29の右上の大きな記事に感謝。

聖書の誤訳「らい」削除を

国立ハンセン病療養所・長嶋愛生園(瀬戸内市邑久町虫明)にあるキリスト教会の
牧師大嶋得雄(うるお)さん(74)=同市邑久町山田庄=が聖書や関連書籍の
日本語訳からハンセン病の旧称「らい病」の表現をなくす長年の活動を3冊の本に
まとめ自費出版した。
誤訳によりらい病が罪や汚れの象徴とされているとして出版社に改訂や販売中止させた
ことを詳細に記録。
「偏見、差別の解消に役立ててほしい」としている。(阿部光希)

 大嶋さんが聖書の表現に疑問を抱いたのは1983年に愛生園の長島曙教会で
牧師が「らい病」を罪の恐ろしさや汚れの象徴として説教し、その場にいた入所者が
「自分たちは特別な罪を犯したから病気になったのではない」と大嶋さんに訴えた。
 
 問題は旧約聖書に登場するヘブライ語「ツァラアト」の訳し方。
皮膚病を意味するギリシャ語「レブラ」があてはめられ「らい」と訳されたという。

 しかし、旧約聖書の「ツァラアト」はハンセン病の特徴である知覚まひの記述がない
など症状が一致せず、衣服や壁にも現れることから大嶋さんは「らいは誤訳」と指摘。
2000年から米国の神学校に留学し、らいと訳す根拠がないことを確信。
原語のまま表記すべきだと主張してきた。

 大嶋さんによると、「らい病」は生来の罪のた「とえ」「肢体が腐る」などとした
神学校の講義録、「聖書は罪人がどのような者であるかを表すためにらい病として
記した」と書いた小学生向けの資料もあった。
これらに抗議するとともに「らい」の記述がある聖書とその注解書に販売中止や改訂の
措置を取ってもらった。

 長島曙教会員の二宮鐘秋さん(88)は「療養所入所者が高齢化し減っていく中、
偏見を生む記述を定着させることを阻止した意義は大きい」と話す。

 ただ「ツァラアト」では意味が分からない」として「重い皮膚病」と「かび」に
和訳した聖書もある。
大嶋さんは「皮膚病はハンセン病を含むし、他の皮膚病患者への偏見を生む」として
原語へ戻すべきだと主張している。

 本は各千冊作製。非売品で各都道府県立図書館やキリスト教神学校などに配っている。

 大嶋さんは「聖書は全ての教えの元。誤った解釈による説教で新たな偏見や差別が
繰り返されないようにしたい」と力を込める。


以上、引用でした。大嶋さんの大きなカラー写真が載っています。

イエス以前の律法の世界で、清潔観念を守るために
祭司は医師と似た立場にあり、いろいろな指示を受けていました。

聖書にある、「らい」の見分け方も指示が書いてあります。

私が一番、印象に残っているのは、映画「ベンハー」の中で、
ベンハーの母と妹が何年も真っ暗な牢屋に入れられて「レプラ」になり、
レプラの人々が隔離生活を送らされている村に行き、ベンハーも
生き甲斐である家族と共に生きたいがために、そこへ行き、
彼女達を抱きしめるシーンです。

たとえ、家族であっても、触れてはならない律法をベンハーは破ります。
家族を生きながら失うよりは、犯罪者となっても、家族と共にありたかった、
その捨て鉢の愛情が素晴らしかったです。

その彼を導いたのは、イエスに喜びを見出している、かつての奴隷、
彼の家の従僕の娘でした。
父を介護し、ベンハーの差別村に住む家族の世話をしている娘でした。

そして、イエスの臨終に立ち会い、戻ってみたら、家族は癒されていて、
ベンハーは、とてつもない祝福に感動します。
ベンハーの復讐心や、不条理への絶望も癒されているのです。
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