■“毒母”とのバトル「命がけで自分の理想像、押し付けられ」…女たちの苦闘
(産経新聞 - 08月20日 17:09)
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”父子相克”を克服しながら、息子は 父親への依存から 父の存在を超えていくらしいが、女性同士でいうと、特に 母娘の場合は、その”親子関係”の絆が、より一層 強いらしい。
同族嫌悪、というのとも違う、肉体は ほぼ同じ遺伝子から形成されているのに、まったく個別の人格、というのに、この上ない違和感を覚えるものらしいのだ。
おそらく、”自分の体の中から出てきたのに、まったく似てない”部分と、”あまりにも自分に似すぎている部分”に 自己嫌悪と撞着のような、複雑な感情が、ないまぜになったような。
最近は、妊娠中からのナーシングケアで、カンガルーケアという奴だろうか、胎内にいるうちから、母体が胎児に拒絶反応を示さないように、愛情深く、語りかけたり、生まれてくる子に自然な愛着が持てるように持っていく妊産婦のメンタルケアもあるので、そういうケースは減ってきてるように思っていたのだが。
こんなことがあった。
母が亡くなってすぐ、通夜の前に 姉の嫁入り支度にと 数年前に母が誂(あつら)えて どこかにしまっておいた、まだ”しつけ糸”も取ってない、新品の喪服(女ものの和服)を、姉(長女)と一緒に 探したのだが、念入りにしまってあるらしく、押入れの奥も たんすの引き出しも、探しまくったのだが なかなか見つからない。
準備がいいのか、わるいのか よく分からん母の手際に、さすがに切れた姉が
「ああ、もう、どうして いつも、こうなの!わたしのせい?」
(確かに。いつも肝心なところで、母は抜けていたので、姉が最大の犠牲者)
「もう、これは(死んだ)母さんに聞かんとわからんよ。
仕方がないから、くっきないの喪服は洋服かレンタルにしよう。@@
」と、あきらめかけたところ、
ようやく ”すまん、すまん”とでも言いたげに、押入れのクローゼットの上から三越の畳う紙に畳まれたのが、出てきた。
黙っていても、長女が なんとかしてくれるだろう、という 母の投げやりなところが、今の姉の性格の一部を形作ってる気がした。
そういう亡き母も、幼くして 母と義母を亡くしているので、”理想の母親像”というものが どういうものかわからないまま、試行錯誤で 母を演じてきてくれていたのだ。
なんだか、姉と母親を見ていると、本音でぶつかり合うことも多く、ひやひやしたけど、年の離れた 姉妹みたいに 思えるところがあるものだと、思ったものです。
”けんかするほど、仲がいい”と言うけど 互いに、自分の欠点も長所も、そこまで言うかというところまで、出してたところもあったからな。
姉は、たぶん 母が死ぬまで”迷惑かけてすまんかった、ほんとにありがとう”とは言ってもらえてないんじゃないだろうか。みなまで言わんでも、分かり合えてるような気がしてるんじゃなかっただろうか。
それでは、伝わらないものもあるのだけどな。
似た者同士というか。 反発する相似形。
実の母娘でも、そういうケースもあるから まして義理の親子なら、理想ばかり押し付けられても、たまらなくなるんじゃないだろうか。
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